赴任先での生活や文化
海外での出産経験
ドイツでの出産を経験した方のハプニングとアクシデントについて書かれたコラムです。
赴任先での出産を予定・計画されている場合は、ご一読ください。
この記事で書かれていること
ドイツでの出産 ハプニングとアクシデント
フレンズ帰国生 母の会/Y.A
私は主人の赴任に伴い、2人の娘を南ドイツのニュールンベルクで出産しました。長女の出産の時は、英語の話せる産科の担当医がバケーション中で連絡がつかず、別の英語を話せない先生の元、初産に望みました。
この時はまだ訪独してから4 カ月しか経っておらず、ドイツ語の儘ならない私はとても不安でした。
そのことを察してかポーランド人の助産師さんが一晩中、付き添ってくれていました。
そして微陣痛の中、陣痛促進剤を打つと痛みがひどく酸素過多になり、紙袋を口に当て呼吸し痛みに耐えていました。
いよいよ分娩台に移った時には病院に入ってから35時間が経っており体力低下で、うまく力むことができませんでした。
何回か力んだ後、おそらく体重が70 キロは軽く超えているであろう1 人の助産師さんがドシっと分娩台に片足をのせ、いきなりプロレスの技エルボーの腕を私のみぞおちに当て下に向かって、私が力むタイミングで押したのです。
「えっ、何なに?」と思ったその時です。
「ボキッ」と鈍い音が…。
そんな中、長女は無事に産まれ、主人と嬉し泣きしている間に、出産の手伝いに来ていた母は、初孫になった娘を主人より早く抱きしめていました。
2日がたった頃、動くと肋骨が痛く腫れていたのでレントゲンを撮ると、案の定、肋骨にひびが入っていました。
固定する術もなくただただ湿布で冷やすだけでした。
そして5日が経ち娘を沐浴させた時のことです。
それまでついていた臍のうがありません。
看護師さんに聞くとゴミ箱に捨てたとのことで、これは一大事とばかりに新生児室のゴミ箱を漁り探し出しました。
看護師さんは何をこの東洋人はしているのかと不思議そうでしたので、辞書を引きひき説明しました。
その後は日本のことに興味津津で、入院中は事あるごとに日本ではどうなのかを質問してきました。
私も独会話の勉強になり、コミュニケーションのツールとして辞書は大活躍でした。
それから3年後、今度は次女の出産です。
担当医は長女の時バケーションで留守だった先生です。
それは不意にやって来ました。
あと1カ月で出産という時です。
私はいつものように長女に着替えをさせて立とうとしたら「えっ。へぇぇ。」と全く下半身に力が入りません。
何故か笑えてくるこの状況に何が起きたのか分からず、長女に電話を持ってきてもらい主人に連絡し、産科にも電話をして指示を仰ぎました。
長女は近所のドイツ人の友人宅にお願いして、主人と出産する病院へ急ぎました。
入院になり担当医の診察を部屋で待っていたのですが、担当医は姿を見せず、看護師さんには「とにかくベットで安静にして」と言われ横になること8 時間余り、やっと来た担当医に「歩いて見て」と言われ、歩くと「あなたはダチョウか。あっはっは。」とこちらの心配は余所に笑うのです。
診断の結果は恥骨の脱臼でした。
出産が近づくと筋肉と関節が緩み急に立ったりすると起こるというものでした。
そのことを聞いた私は、つたないドイツ語で「赤ちゃんは大丈夫か。」「自然分娩はできるのか。」と涙ながらに質問していました。
担当医に「赤ちゃんは大丈夫。よくあること。とにかく安静に。トイレも看護師を呼んで。絶対いいと言うまで歩かないこと。」と言われました。
そして3日の間、安静にして退院しました。
出産の時は陣痛の合間に赤ちゃんが産まれ易くなると言われ、主人に付き添われながら3階までの階段の上り下りをしました。
そして2往復もすると分娩室に入ることができました。
陣痛の痛みは長女の時と違い尋常ではありませんでしたし恥骨の脱臼もしましたが、入院して6 時間後には主人も立ち会い元気に自然分娩で産まれてきました。
ドイツでの出産は私にとって一生の思い出です。
そして、ニュールンベルクのマルタ・マリア病院の先生方、助産師さんと看護師さんには、無事に異国の地で2人の娘を出産させて頂き感謝の気持ちでいっぱいです。