海外滞在時の医療

海外赴任先でメンタルヘルスを保つ心得とは?

海外赴任時は環境の変化によるストレスなどから、不安障害、うつ病などのメンタル不調や精神疾患にかかる場合があります。海外赴任に疲れた場合やメンタル不調が起きた場合、ギブアップしてしまいたいとつらい気持ちを抱える方もいらっしゃるでしょう。また海外赴任についてきた家族が帯同うつを発症する場合もあります。そしてそんなときどこに相談すればいいのか、どのように対処すればいいのか困ることも。今回は海外赴任時のメンタルヘルスについて、精神科医師・医学博士の鈴木満先生の寄稿を掲載します。是非参考にしてみてください。

はじめに– 異国でこころを病んだとき –  

海外在留邦人とは、海外に3ヶ月以上滞在する邦人とされています。その数はパンデミック下で一時減少したものの202210月時点で130万人となっています。在留邦人のうち、帰国を前提とした長期滞在者は75万人、永住者は55万人です。本書の読者の大半は海外駐在員と帯同家族であり、長期滞在者に該当します。国境を越えての生活は、人生の中でもとりわけ大きな環境変化です。生活環境の変化には心の痛みと成長が伴います。痛みがより強く発現した場合が、メンタルヘルス不調です。 

人類の歴史は、自然災害、感染症、戦争、経済危機と共にありますが、パンデミック、ウクライナ侵攻、トルコ大震災、気候変動、円安などの大規模緊急事態が相次ぐ中で、海外生活者が対面する環境変化は、より連動化・複雑化しています。特に新型コロナウイルスの感染流行が世界中に引き起こした行動制限や社会不安が、海外邦人のメンタルヘルス不調を悪化させたことは大きな教訓となりました。国内では法律上の位置づけが第5類に引き下げられたものの、ウイルスは居座り、第9波が到来しました。ウィズコロナ時代の戦略のみならず、次にやって来るパンデミックへのメンタルヘルス上の備えを忘れてはなりません。

海外赴任先において身体の具合が悪くなった場合、先進国であれば現地での治療選択肢が多数あります。しかしメンタルヘルスの領域では、言葉と文化の理解度が「診たて」を大きく左右しますので、海外での治療の場は限られています。そして介入が遅くなれば症状は重くなり「待ったなし」の状況になりえます。その結果、心ならずもメンタルヘルス不調のために帰国する方が恒常的に発生しています。赴任先が先進国であったとしても、海外は大半の邦人にとって「精神医療過疎地」なのです。

メンタルヘルス不調のために帰国治療に至った方々は、「たまたま調子を崩したのが海外滞在中だった」、「赴任前から心の問題を抱えていた」、「海外生活に適応できなかった」、「海外で惨事に巻き込まれて心の傷を負った」等、様々ですが、「早期発見、早期治療ができていればここまで悪化しなかったのに」、と思う事例を多数経験してきました。

海外勤務者ご自身とご家族には、より高い「セルフケア能力」が、海外勤務者を送りだす事業場には、「メンタルヘルス・ケア体制の整備」が求められます。派遣前研修はセルフケア能力強化に有用であり、派遣後のストレスチェックの活用や相談機能の強化も検討すべきメンタルヘルス対策です。海外邦人のメンタルヘルスにおいて最も多くの人が援助を必要としているのは「文化適応関連事例」、最も早急な援助を必要としているのは「精神科救急事例」、より専門的な援助を必要としているのは「トラウマ関連事例」です。以下にそれぞれについて解説します。 

文化適応関連事例 – 海外生活・勤務ストレスへの不適応

文化適応関連事例

文化適応関連事例とは、環境変化への心身の不適応反応で、誰にでも起きえます。海外生活における予想と現実とのギャップがしばしば引き金となります。日本ほど便利で清潔で安全な国はなかなかありません。日本で当たり前にできる生活の立ち上げがうまく進まず、腹が立ったり途方に暮れたりすることはよくあります。日本に居るころから持っていた夫婦や親子間の葛藤が顕わになることもありますし、現地雇用や国際結婚での二重規範による苦悩もよく耳にします。中でも日本人社会での人間関係に悩んで行き詰まるケースが多いことは是非知っていてほしいと思います。小規模な邦人コミュニティの中で肥大化した対人葛藤は、国内でのそれよりも深刻なものとなりやすく(愛憎は倍増!)、噂話が一人歩きしやすいので注意が必要です。 

一口に海外勤務と言っても、多様化する海外生活を一般化することはますます難しくなっています。海外赴任に伴う生活勤務環境によるストレス要因には共通するものと、その赴任先特有のものがあります。単身赴任か、家族を帯同しての赴任かによっても大きな違いがありますし、小さな駐在所であれば上司や同僚との相性も勤務環境を大きく左右します。その他にも派遣元の海外勤務慣れ、派遣先地域の治安情勢、現地採用職員の多寡など、複数の要素が影響してきます。また激変する政治経済状況や気候変動など予測不能の環境変化にさらされることもあります。

とはいえ、大半の方は自分自身で、あるいは周囲の支援を得て乗り越えることができます。困難を克服する人々に共通して見られる要素は「希望を見つける力」です。日々の生活においては、自文化中心主義(日本が一番、わが社が一番)、過度の一般化(海外勤務なんてどこでも一緒)、二分法的考え(白か黒か)に陥らぬことが大事です。多様な生活習慣や価値観を柔軟に受け入れ、それでいて自文化の価値を再評価するというのが熟達の駐在員の方々に共通して見られる姿勢です。運動や趣味といったマルチチャンネルの生活習慣も推奨されます。

海外での精神科救急事例– 速やかな医療的介入が必要な事態

精神科救急事例

精神科救急事例とは、「いつもと違う」「何をするかわからない」といった切迫した精神症状を示します。気分が高揚しすぎて周囲とトラブルを起こしたり、幻覚や妄想に左右されて予想もつかない行動に走ることがあります。一番困るのは、ご本人に病気の自覚がなく「病院に行きたがらない」という場合です。時には「死にたいと言う」「興奮して怒りやすい」という症状が夜間休日にも発生し「明日まで放っておけない」という状況を引き起こします。この場合、速やかな医療的介入が必要ながら海外での対応には限界があります。ほとんどの事例では薬がよく効きますので、何とか地元の専門医につなげることができれば、数週間で落ち着きを取り戻します。ただし、現地で入院すると国によっては高額の治療費を請求されます。また、運悪く発展途上国で救急事例化した場合には、近隣の先進国や日本に搬送しなければならないことがありますが、症状が落ち着かないと飛行機に乗せてもらえないので対応に難渋します。 

わたしどもの調査では、日本国内で治療歴のある方の「服薬中断」による症状再燃が多いので、国内の主治医からの服薬指導と家族の理解・協力がとても重要です。加えて、海外で精神科救急の症状をきたした場合には、本人のみならず支援者に多大な負担がかかります。身体の病気と同じ様に、症状悪化の予防のためには早期発見・早期介入が第一です。派遣元の事業場には最新の現地医療情報提供を含めたきめ細かい派遣前研修に加えて、派遣後の危機介入を想定した支援体制が求められます。 

トラウマ関連事例 – 大規模緊急事態に巻き込まれた場合

海外ニュースを見ると毎日の様に世界のあちこちで大きな事件や事故が発生しています。外務省では、海外で邦人が事故や事件に巻き込まれた時に様々な援護活動をしています。外務省の邦人援護統計によると年間約2万人の邦人が援護を受けています。この中には重傷者、死亡者も含まれています。これらの集計は在外公館が援護した事例のみで、ご家族や職場が対応した事例は含まれていないので氷山の一角といえましょう。邦人援護件数(2021)は、アジア、北米地域が多く、在外公館別でみるとフィリピンが最多で、デンパサール、タイ、大韓民国、デンパサール、バンクーバーがこれに続きます。

トラウマ(心的外傷)とは、圧倒されるような精神的衝撃で、強い恐怖や不安を伴い、個人がその対処に困難を感じるような出来事による体験です。上記の大規模緊急事態に巻き込まれた方々の一部に心的外傷後ストレス障害(PTSD)の症状が認められます。PTSD3ヶ月以内に多くが回復しますが、重症の方には専門的治療が必要です。

日本語によるメンタルヘルスサービスの需要と供給

メンタルヘルスサービスの需要と供給

東南アジアと中国に住む邦人駐在員を対象とする調査で、「日本語で心の問題を相談できる機関が必要だと思いますか」という問いに対して、全体の約6割が「非常にそう思う」「そう思う」と回答しました。「必要とされる専門家・体制は?」という問いへの回答をまとめると、「日本語と日本文化を理解できる精神科医、心療内科医、臨床心理士、カウンセラーによる、秘密を守ってくれる相談体制」という結果でした。

上述した通り、海外で診療をしている邦人精神科医はごく少数であり、発展途上国では精神医療機関自体が少なく、日本語による対応を期待することは困難です。それでも30年前に比べれば状況は好転しています。欧米の大都市であれば、複数の言語に対応した精神科サービスがあり、最近はシンガポールなど一部の大都市において、条件付きで海外邦人を対象とした邦人医師の診療が認められるようになってきました。現地で医師免許を取得する邦人医師や国際結婚カップルの子女が現地で医師となる例も増えています。新型コロナウイルス感染拡大に伴う行動制限によりインターネットを活用したオンライン医療や相談サービスも普及しつつあります。派遣元からのオンラインによる支援も、急速に普及しています。いつもと違う心身の兆候を自覚した場合には、早めの相談をこころがけて下さい。

なお世界各地の邦人コミュニティにおけるボランティアによるメンタルヘルス・ケア活動もそれぞれの国の医療福祉制度に合わせた形で行われています。詳細については下記「海外生活におけるメンタルヘルスに関する情報」をご覧下さい。いずれも篤志に支えられている素晴らしい活動ですが、運営基盤が不安定で活動休止となる団体もありますので日本からの手厚い支援が必要です。 

まとめ

最後に、大多数の海外邦人は健やかで実り多い生活を送っておられ、海外生活は家族の絆を深める好機であることを強調させて下さい。海外生活者のメンタルヘルス対策は、個人にとどまらず、組織、国家それぞれのリスク・マネジメントです。そして、それには「平時のケア」と「有事のケア」があります。前者には、国内でも発生しうるメンタルヘルスの問題に加えて、海外生活勤務ストレス要因への心身の反応があります。後者には、精神科救急事例に代表される個人的な危機と、邦人コミュニティが遭遇する大規模緊急事態があります。パンデミックもその一つです。派遣前・派遣後を通したセルフケア能力の向上、現地医療資源の活用、日本からの遠隔メンタルヘルス支援、被災者・被害者のケア、国際医療連携の強化などの課題に対して、官民産学協働の「備え」を怠らぬことが大事です。(本稿の内容は筆者の個人的見解に基づくものです。)

寄稿くださった精神科医師・医学博士 鈴木 満 先生のプロフィール

英国国立医学研究所研究員として1987-1992年ロンドン滞在。世界各地の在留邦人メンタルヘルス支援に携わり2009-2021年外務省勤務。ロンドン、バンコクでの長期滞在に加え世界140都市以上を来訪。外務省内に日本初の「在外ストレス相談室」を開設。近著『海外生活ストレス症候群―アフターコロナ時代の処方箋―』/弘文堂

<参考資料・文献(順不同)

  • 海外在留邦人数調査統計令和 4 年要約版(令和 4 101日現在) 

https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/100593343.pdf

  • 令和 3 年海外邦人援護統計令(令和312)  

https://www.anzen.mofa.go.jp/anzen_info/pdf/2021.pdf

  • 鈴木 満(編著):異国でこころを病んだとき/ 弘文堂(2012)
  • 鈴木 満:日本企業東南アジア駐在員のメンタルヘルス—フィリピン、シンガポール、インドネシアでの調査より/海外邦人医療基金(2012)
  • 鈴木 満:日本企業中国駐在員のメンタルヘルス—海外生活における急激な環境変化や大規模緊急事態への対応/海外邦人医療基金(2013)
  • 鈴木 満:海外生活ストレス症候群 / 弘文堂(2023)

海外生活におけるメンタルヘルスに関する情報

メンタルヘルスに関する情報

以下は海外生活をしている人のためのメンタルヘルスに取り組む団体の一覧です。是非お役立てください。

<海外在留邦人の医療・福祉・メンタルヘルス等に取り組む団体(順不同)

  • 外務省海外安全ホームページ「孤独・孤立及びそれに付随する問題でお悩みの方へ」

https://www.anzen.mofa.go.jp/life/info20210707.html

※こちらは、2023121日発行の「海外赴任ガイド2024年版」を元に作成しています。紹介内容が原文と異なる場合もあります。

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