赴任先での生活
スイスからの手紙、私の暮らし〜海外と縁がなかった、専門職の私が伝えたいこと〜
日本で知り合った夫との結婚で、46歳の時にスイスに移住した私。20数年間、医療や福祉、保健の現場で働いていた私は、海外への憧れも縁もあまり無かったのでした。スイスといえば、小学生の頃に夢中で観ていた「アルプスの少女、ハイジ」の物語、そこに出てくる「黒パンやチーズ」など今思うと、よく移住を決心したと思います。何も知らなかったから、また、当時は現在ほど海外生活に関する情報を簡単に得られる環境では無かったから、このスイスに飛び込めたのかなと思っています。
また、今までの仕事を振り返り、これからのキャリアについて立ち止まって考える時期でもありました。日本の看護・介護の現場で、自分の理想と現実との間に隔たりを感じ、少し環境を変えてみたいという思いもあったのかもしれません。「海外生活」への憧れというよりも、専門職として生きてきた人生をもう一度、咀嚼する機会にしようと思ったのを覚えています。
公開日:2026年9月14日
この記事で書かれていること
言葉が身に付かないことのつらさ
標準ドイツ語を学んでも、会話が分からない
スイスは、ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語の4つを公用語としており、私が住む地域はドイツ語圏。すぐにドイツ語学校に入りました。
自宅ではドイツ語だけでの会話をすると夫との約束をし、毎日毎日、大きな恥をかきまくって、若者と机を並べて必死に勉強しました。でも、半年たっても、登下校する電車の中で聞こえてくる会話が理解できませんでした。
夫に相談すると、「それはそうだよ、私たちが使うのはスイスドイツ語だから」。もう、「えーっ!」でした。
スイスドイツ語は方言、口語のひとつで、ドイツ人でも聴き取れないことがあるそうです。だから、いくら学校で標準ドイツ語を勉強しても電車内の会話を理解できなかったのです。そして、この問題には今でも苦労しています。
「きゅうり」という単語さえ分からない
標準ドイツ語を学ぶ為、自宅から1時間半かけて、毎日語学学校に通いました。学校には、さまざまな国の、またいろいろな年齢層の学生がいました。
アメリカ、イギリス、ギリシャ、クロアチア、トルコ、スペイン、ルーマニアなどの国籍を持つ方々と1年間同じクラスでした。
語学学校内では「標準ドイツ語だけで会話する」「電子辞書を使わない」という実践重視の指導をしてくださった先生はチェコの方で、ある授業の時に、近くのスーパーへ行きました。そこで、買い物という日常体験をしながらドイツ語に触れるというものです。
その時に40代のクラスメイトが泣き出しました。「きゅうり、という単語さえ私はわからないのか」という理由でした。
私は、その気持ちに深く共感しました。母国で仕事のキャリアがある場合は特に、外国での自分の状況を認められない時があるのでした。情けないような、なんだか惨めな感じにまで、ネガティブな感情は広がっていくことも多々ありました。
そんな時に、夫に話してみたことがあります。ただ、聞いて欲しかったのです。
この瞬間、何かスッキリしたのです。何かが吹っ切れて「覚悟」が小さく芽生えました。
自分の足で歩いていくしかない
夫から放たれた言葉は厳しいものではありましたが、スッと自分の気持ちに溶け込んだのを覚えています。それは「何者でもない自分を受け容れること」であり「自立と自律」への小さな一歩でした。
ドイツ語が話せるようになり、実際にこの地域でいろいろな人と関わりながら、暮らしたいと思い始めました。また、この地方で日常遣いされている「スイスドイツ語」の会話を深く知りたいという気持ちも芽生えていました。
スイスで仕事ができるとは考えていなかったので、近所の介護看護施設に「ボランティアをさせてください」とお願いし、このことが今につながる大きな出来事になりました。
自分の身を崖っぷちに置く、そうしたほうがいい、また自分の好きなケアにスイスで、ボランティアとして関われるのであればそんなに素敵なことはないと、思い切って自分の経験や思いを伝え、まずは受け入れてもらえないかと自ら一歩を踏み出しました。
スイスでケアに携わる
ボランティアから、公務員として働くまで
早速、ボランティア契約を結び、まずは週2日午前中だけホームに行きました。入居者の話し相手等を想定していたのですが、日本で看護と介護をしていたと話すとすぐに「清拭(せいしき)をしてください」と言われました。
本当に嬉しかったのを覚えています。外国人で言葉もまだまだの私が、入居者の体に触れる仕事を任せてもらえるなんて……。このために、日本でいろいろ学び、経験を積んできたのだと思いました。
ボランティア活動が始まり3~4か月後、施設側から時間給勤務の提案を受け、その後月給制の公務員になり現在に至ります。
日本の看護師資格をスイスで働ける資格に切り替えたのですが、制度が異なるため、分野によってできること・できないことがあります。
例えば、私は医療ホスピスのリーダーにはなれませんが、この処置まではOKと細かく分かれています。施設からは、「治療計画について利用者のご家族と話し合う業務もやってみたら?」と言われますが、スイスドイツ語に自信がないので断っています。
今は看護師としてではなく、もっと広く、介護メインで働いています。仕事を始め13年が過ぎようとしていますが、このホームの住人さん方、また仕事仲間との出会いは私の大きな財産になっています。
「本人がどうしたいか」を最優先に
またスイス社会を知ることもできるので有り難いばかりです。仕事の中で、いろいろな問題や課題が起こることもありますが、そんな時はスイスに来た当初のあの気持ちを思い出してみます。
実際に、あの時のような大変さを感じたことは無いので、解決できることだという認識で今も仕事に向かい合っています。13年勤続していると、私の勤務先では早くも「お局様」のような存在ではありますが、日本のケアとは異なる対応法があったりして今も尚、新鮮な気持ちを持ち続けながらケアに携わっています。
ケアの場では、専門職が相手の意思を尊重するのは当たり前です。本人の意向を何度も聞いて確かめます。
でも、そのやりとりを電子カルテにしっかり書き込みます。看護・介護する側の都合やペースで進めてしまわないという意識を常に持たないといけません。
スイスでは、夫婦間でも「今日、あなたは何をしたい?」とよく確認し合います。人がどう思おうと、「今の私はこうしたい」を尊重するんです。
子どもに対しても同様で、もし教室に入りたくない子どもを無理やり教室に入れたら、警察が介入するくらいの人権侵害とみなされるでしょう。
認知症と診断された方は、時にたくさんの選択肢の中から何かを決めるのが苦手です。でも、必ず本人がどうしたいかを聞きます。
例えば、歯磨きのやり方1つとっても、本人なりのやり方があり、そこに生き方があらわれるんです。その人の癖や大切にしていることを観察して、意に添うやり方で接すると満足につながると思います。
会話と「一緒に過ごす時間」を大切にする
また、私達は会話をとても重視し、その時間を大切にします。血圧測定も尿の回数確認も不要と判断すれば、行いません。不調は、会話の中でも察知できるからです。
食事時間も決まっておらず、プログラムはありますが自由参加で、団体行動はあまりありません。
スイス人は、ぼーっとリラックスするのが上手なんです。人とちょっと会話する、景色を眺めてお茶を飲む。急がず、時間を共に過ごすのが介護です。
だから、ケアする側も、朝昼晩一緒に食事をとります。施設のカフェテリアは近所に開放されており、いろんな人が来ておしゃべりします。
「今、やりたいこと」を支える
日本とスイスでは、介護において大切にされる点に違いがあると感じています。日本の介護現場では、技術やチームワーク、リスク管理が細やかに徹底されていると感じます。
一方、私が働くスイスの施設では、本人の意思やその人らしい過ごし方を尊重することに、より多くの時間が使われているように感じます。
大雪が降った時、入居者の方々が雪かきをしたくってそわそわしていました。いやいや滑って転んだら危ないでしょ、と私は彼らの気をそらそうとしました。
でも、同僚にこう指摘されました。
確かに、自分がされたら嫌なことを人にしてはいけない、と教えられていますよね。
転倒のリスクを理由に一律に止めるのではなく、安全にできる方法を考えながら本人の意思を尊重する。今、この瞬間に本人から放たれた言葉に触れ、思いを汲み取ることの大切さ。私はこの経験から、スイスのケアに根付く考え方の一端に触れたように思いました。
義父や義母の介護を経て
義父との最期の時間
仕事を始めた頃、95歳の義父の認知症が進み、私か夫が一緒にいる必要が生じたからです。
義父は、窓から出ようとしてご近所に通報されそうになったのがきっかけで、施設に入りました。私は施設に着替えを届けたり、歩行練習に付き添ったりしました。
最期は、私の手を握って「ありがとう」と言ってくれたんです。奇跡のようでした。認知症だけど、気持ちが通じた気がします。
夫婦で支えた義母の在宅生活
義父が亡くなり、一人暮らしになった義母も、入退院を繰り返すようになり車椅子生活になりました。
私は日本で取得したケアマネージャー(介護支援専門員)の知識と経験を活かして、歩行器選びや訪問リハビリの調整等を行いました。
夫と二人どちらかが、義母の家に居るように「家庭介護」という形で寝泊まりしながら義母の在宅生活を支えたことは、私たち夫婦の絆を強くするひとつの出来事だったように思います。
スイスでは、子どもは成長すると経済的に自立して家を出るのが普通なので、核家族化が進んでいます。介護保険制度も無く、子どもが自分の親を介護するのは珍しく、プロに任せるのが一般的です。
認知症でも、気持ちは伝える
義母に認知症の症状が出て、夫と義母が言い合いになったことがあります。
夫は「美津子がこんなに頑張っているのに、なぜ、美津子にありがとうと言えないの?」「ママは僕に、『人にはありがとうと言いなさい』と教えてくれたじゃないか!」と怒っていました。
私は、「認知症の人相手に、どうしてこんなに厳しいことを言うのだろう」と驚きました。でも、認知症だからとあきらめず、感情を表現して伝えるのは大事なことだと思い知らされました。専門職でない人はこんな風に感じているのかと、学びになった出来事です。
義母は足を悪くしていましたが、最後の入院を前に、足の手術をしないと自身で決めました。
病院に向かうため家を出る際にそう告げ、実際に施設に移って1ヶ月で亡くなりました。
「弱み」がある自分だからできるケア
私は今も、スイスドイツ語を流暢に話すことができない外国人です。言葉で自分の思いを全く伝えられない頃は、周囲とのつながりを感じられず強く孤独感を感じていました。また自分の存在まで小さく、薄くなったように思い辛かったです。
だからこそ、人一倍観察し、想像力を働かせて、相手の気持ちを推し量ろうと努力してきました。
どこで、誰と、どんな風に生きるか……。
ドイツ語で「Ach,so」、日本語で「あ、そう」。どんなことも、先ずは受け入れてから、自分の考えを巡らせる。
この気持ちを胸に毎日を愉しみがって暮らしていきたいと感じています。このスイスの大きな自然に包まれて。
-執筆-
リッチャー森脇美津子
(看護師、ケアマネージャー、ジャムズネット・スイス代表、一般社団法人 住所地球えん 企画係、一般社団法人ゆいグローバルネット チームメンバー)
プロフィール
大阪府出身。スイス在住、日本の兵庫県北部但馬地域と沖縄本島北部本部町を拠点にし活動中。
日本で20数年、医療現場で臨床や訪問看護、行政の技術吏員として介護保険や福祉全般、介護保険事業所で管理者やケアマネとして勤務。
現在、スイス東部の公立医療型ホスピス、認知症グループホーム併設型高齢者、障がい者介護看護施設(Hospiz und Pflege im Werdenberg)に介護看護スタッフとして勤務。13年目となる。
国際アロマテラピスト資格取得(International Federation of Professional Aromatherapists)。
スイスで外国人として生きることから見つけた介護や看護を「フレーゲPflege®️」と名付け、日本の医療介護の場、介護を担っている家族、看護学生へ向けて、オンライン企画や訪問にて講演活動をしている。
沖縄本島北部、本部町在住の看護師、加藤節子と共に2024年6月「一般社団法人にぬふぁ星」を設立した。「居場所作り」を模索中。
社会貢献として、以下の取り組みを行っている
① ジャムズネット・スイス代表としてスイスやイギリス、フランス、オランダ、デンマーク、タイなどの医療介護に携わる日本人と共に在住在留邦人の医療や暮らしを支えるネットワークを構築し、世界各地のジャムズネットとの調整を行なっている。また、日本やヨーロッパ(ドイツ、スイス、イギリス、デンマーク)にて認知症サポーター養成講座や介護保険制度、介護や看護について講演開催。
② 一般社団法人 住所地球えん(https://jushochikyu-en.com/)の企画係として、スイスの暮らしを始め、日本の医療や介護、地域作りなどのテーマでオンライン配信を担っている。
③ 一般社団法人 ゆいグローバルネット(https://www.yuiglobalnet.com/)チームメンバーとして、スイスからの情報発信等、世界各地で暮らす日本人の居場所作りを模索している。

