赴任先での生活
母たちの海外赴任体験談!海外暮らしのリアルな声を紹介します
海外赴任をすると決まれば、周囲から「海外駐在なんてすごいですね」や「海外赴任に選ばれる人は優秀」などと言われることがあるでしょう。また「海外赴任はつらい」、「海外赴任はやめとけ」と言う声もあり、実際の海外赴任はどんなものか、その実態はわかりづらいものです。そこで今回は海外赴任に帯同した妻たちの、母としての体験談と子どもの体験談を紹介します。海外に滞在した家族のリアルな声から、海外赴任がどんなものか参考にしてみてください。
この記事で書かれていること
はじめに
初めての海外赴任となると、教育をはじめ、渡航後の生活については、なかなか予想ができないものです。ぜひ渡航前に、赴任経験者の体験談やアドバイスを聞ける機会を持つことをおすすめします。一般的には、海外赴任セミナーに参加する、先輩社員を紹介してもらう、各種ボランティア団体に相談する、と言った方法で機会が得られるでしょう。ここでも、一部の先輩赴任者の体験談を紹介します。一般的な情報とは違うヒントになるでしょう。
母親の海外体験談
ここからは海外赴任に家族で帯同した、母親の体験談を紹介します。
コミュニティの中で学ぶことの大切さ
寄稿者:A.T
海外滞在期間:アメリカ・ニューヨーク 2001年~2004年および2011年~2015年
不安と愉悦が交差した海外生活。帰国して振り返ると、体験から得たものが、その後の自分の生き方や考え方に少なからず影響を与えていると感じるものです。異文化のもと自分が体験した悔しいこと、恥ずかしいことなどから教訓的に学ぶことはもちろんのこと、アメリカ人の行いや考え方から真摯な生き方を学ぶこともたくさんあったと思います。日本では味わえない経験を咀嚼し自分が成長できることこそが、海外生活を経験する醍醐味だと実感しています。
ニューヨークに着いたのは2001年5月。アメリカ同時多発テロが起こったのはその4か月後、引っ越し荷物も片付き、子どもは近くの保育園へ、私はそこに隣接するESLに通い始めたときでした。その日、朝のクラスが終わり外に出たときの、静まり返った異様な町の雰囲気を今でも忘れることはできません。帰宅するとアパートに響く泣き叫ぶ人の声。何が起こったのか理解できないまま主人の帰宅を待ち、その後、次第に事の真相を知るのでした。主人は、オフィスビルにテロ予告(すべて誤報でしたが)が入ったとして、何度も避難を余儀なくされました。また、更なるテロが計画されているといったうわさも流れ始め、会社から防毒マスクが支給されました。そのように、ニューヨーク全体が悲しみと混乱に包まれていったのです。
そんな中、初めて人々の強さに触れたのが、子どもへの心のケアに積極的に取り組む姿を見たときでした。保育園には他州のボランティア団体から子どもたちにテディベアのぬいぐるみが届き、保護者向けに心の専門家とのミーティングが催されました。直後に転校した幼稚園でも、専門家を迎え、この大きな事件が子どもに与える影響を皆で考える機会がありました。ただ感情で動くのではなく科学的な知見を用い、またコミュニケーションを図りながら子どもたちを守ろうと挑む力強さに共感したものです。
二度目の赴任の際は、ニューヨークを直撃した大型ハリケーン「サンディ」の被害を受けました。私の住む地域では2週間ほどの停電が続き、料理や洗濯ができない、シャワーも使えない、携帯が充電できない、ガソリンスタンドが閉鎖となりガソリンが手に入らない、など不便な日々を送りました。しかし混乱から数日後には、自家発電などのバックアップシステムを持つスポーツジムや図書館などの公共施設が、シャワーや充電ができるよう施設を開放してくれました。また友人同士でも、子どもを預かったり、食事を提供したりするなどのボランティア精神あふれる行動が始まりました。驚くのは、そのようなことが迅速に行われるということでした。そして友人たちは遅れる復旧作業に対し、「彼ら自身も被災しながら一所懸命作業をしているのだから」と文句を言わず、忍耐強く、自分のエリアに電気が通るのを待っていたのです。
人々の生活のベースに、自分がコミュニティの一員だという自覚と責任感のような潔さがあることに気がつくことがあります。それはコミュニティにとどまらず、社会全体に対する個の責任につながっているようで、そこにアメリカの強さを感じるものです。一時的な滞在と遠慮することなく、自分もコミュニティの一員との思いで活動してみると、現地ならではのおもしろい発見があり、より充実した滞在になることでしょう。そしてそこで得たことを社会で生かしていけば、明るい未来につながるように思います。
自分の色メガネを外してみること
寄稿者:M.A
海外滞在:アメリカ・カリフォルニア州、テキサス州 1998年~2005年
インド・バンガロール 2008年~2012年
アメリカ・カリフォルニア州 2014年~2019年
私の海外生活は結婚してすぐにアメリカでスタートしました。そして滞在3年目、1人目の子供を妊娠しました。カリフォルニアからテキサスへの引越しが決まる少し前のことでした。初めての妊娠出産ですから不安は多く、周囲に知り合いもいなかったので、日本から本を取り寄せては情報を得ていました。しかし気候、住環境、医療システムが違うアメリカでは役立たないことも多く、次第に私は現地の産婦人科や小児科の先生、看護師さんのアドバイスを頼りにするようになりました。主人の出張が多く心細いこともありましたが、自分で現地の方と関わりながら、広い土地で、ゆったりと子育てが出来たことは良かったと思いました。
次の赴任国インドでは、主人が会社初のインド駐在員でしたので、情報が全くないところから生活を立ち上げました。私達の住まい、子供達の通うインターナショナルスクール、高級ホテル等の入り口には必ず門があり、セキュリティーが常に監視していました。しかしその門を一歩出ると、ゴミの溜まった未舗装の道路、悠々と道路を横切る牛、交差点で車が停車すれば物乞いが来る、そんな街の日常が目に入ってきました。最初は激しい貧富の差に驚いておりましたが、暮らしが裕福でなくても笑顔で生活している姿、何かあれば家族全員で助け合う様子、明らかにインド人の風貌ではない私達を、ニコニコと好意的に見てくれる人々(時々何かをくれと寄ってこられることもありましたが)は人間関係が希薄になってきたと言われる日本から来ると新鮮に映りました。
また日本の親は「人に迷惑をかけるな」と子供に教えますが、インドでは「人は迷惑をかけて生きているのだから、人のことも許してあげなさい」と教えるそうです。約束の時間に現れなかったり、お店で釣り銭がない時に飴で渡されたり、日本では考えられない出来事に遭遇することもありましたが、他人に対する大らかな気持ちを持つことをインドでの生活から学びました。
その後、再びアメリカに赴任した時には、子供達も成長し、娘はHigh School、息子はGrade4に転入しました。ただ、学校のシステムについて細かな説明はほとんどありませんでしたので、自ら情報を集め、娘には学校のバスケットボールチームのコーチと直接連絡をとって、シーズン前に活動できるよう準備をし、息子には地域のスポーツ活動を調べて探し、2年目の秋からバスケットボールを始めました。ところが、そのバスケットチームの子供達は皆経験者。超初心者の息子とのレベルの差が明らかで、私は試合の度に恐縮していました。それでも、試合が終わるとチームメートの親が息子に対して “Nice Play”とか “Good Job”と褒めてくれることに驚き、前向きな声がけに何度も救われました。ミスを指摘するだけではなく、まず良いところ見つけて褒めようという姿勢は、スポーツの指導だけではなく子育てにも通用することだと教えられました。
現在帰国して2年が経ちましたが、部活動で指導者のずっと怒っている声に嫌な気分になったり、電車が予定時刻より数分遅れただけで謝罪のアナウンスが流れることに違和感を持ったりしています。もしずっと日本に住んでいたら何とも思わなかったかもしれません。しかし日本を離れ自分の色メガネを外して物事を見た経験は、私達家族4人のかけがえのない財産となることでしょう。
支えあって暮らす
寄稿者:I.Y
海外滞在期間:中国・香港 2002年〜2009年
上海 2009年〜2010年、2012年〜2016年
香港 2016年〜2018年
私共の駐在経験は、2002年から2009年まで香港、2009年から2010年まで上海、2012年から2016年まで再び上海、2016年から2018年まで再香港と合計15年程の中国滞在でした。最初の香港生活から、2歳の娘を同行し、それ以来家族三人で支えあって暮らして来ました。私たち夫婦はアメリカの大学で出会い共に4年前後滞在したので、海外での生活には自信があったのですが、学生と子連れの家族では立場も違い、西洋とアジアの差も大きく不安や戸惑いは初めての海外体験と変わらないものでした。
香港滞在二日目から日中は娘と二人、知人もいない生活が始まり、寂しさと生活の変化から、私は不整脈とパニック障害になりました。幸い、住んでいたマンションに多くの日本人がおり、娘を通してママ友が増えるにつれ不安もなくなり、徐々に慣れていきました。当時の香港駐在者は、広東省に夫だけ滞在し、週末香港の家族のもとに戻るというご家庭が多く、日中は夫のいない者同士助け合い、支えあって暮らしました。自分の仕事で手いっぱいの夫たちに助けも求められず、病気や子供の学校などの悩みや不安を友人たちと共有しなんとか乗り越え、最終的には帰任になっても香港を離れたくない人も多かったように思います。
一方、上海生活は香港と異なり、日本人駐在員が広く分散して居住していた為、日本人コミュニティが希薄で付き合いも少なくなってしまいました。娘の通っていたインターナショナルスクールにも日本人は僅かで、香港滞在当時のような支えあいはできませんでした。夫も慣れない中国語と文化の違いで相当苦労し、ここでの生活は、家族三人で結束して事態にあたるという、お互いの支えがなくては暮らせないという状況でした。支えあうというのは、海外駐在を乗り切るうえでの切り札だと思います。先進国でも発展途上国も、知人や友人、会社の同僚、そして家族と情報を共有しつつお互いの健康を気遣い、不安や困難を乗り越えて現地で生きるということが重要かもしれません。
2002年と違い、現在はオンラインで情報を共有できますし、離れて暮らしている知人や家族にも情報通信アプリなどで電話が可能な便利な時代になっています。それでも家族が重病を患った時の不安や、日中の時間を共有して母国を離れている寂しさ・戸惑いを解決してくれるのは、家族と心の通った知人や友人たちだったと感じています。2003年、香港ではSARSが発生し、大半の家族が帰国する中、軽い肺炎になった当時三歳の娘がSARS病院に強制入院させられた時には、夫の上司の奥さまに励まされ支えられました。幸い疑いも晴れ二晩で解放されましたが、その後も夫の協力もあり乗り越えることができました。滞在当時を振り返り、大切な家族である夫と娘と、支えてくれた周りの方々に、今感謝するばかりです。
子どもの海外体験談
ここでは子どもの海外体験談を紹介します。
ロンドンで学んだこと
寄稿者:Y.T
海外滞在期間: アメリカ・ニューヨーク 2005年~2012年
イギリス・ロンドン 2014年~2020年
私は人生の大半を海外で過ごしてきたので、海外に住んでいる時は日本との違いをあまり感じられませんでした。高校入学と同時に帰国しましたが、ここで初めて海外と日本の違いを感じたのでここに書きたいと思います。
ロンドンに住んでいた時、私はたくさんの背景を持った人と生活をしていました。国籍や宗教はもちろん、セクシャリティなどまさに十人十色でした。毎日の生活を送っているだけで大いに刺激されていました。例えば、食堂には「レギュラー」「ベジタリアン」「ハラル」の3つの選択肢がありました。どんな宗教でも学食で食事ができるようになっているのです。ロンドンに住んでいたときは特に何も感じなかったのですが、今思い返すとやはり日本とは違うなと感じます。日本は菜食主義の人やイスラム教徒の人が圧倒的な少数なので、このような食の選択肢が少ないのだと思います。ロンドンはさまざまな背景を持つ人が集まる街なので毎日を生きるだけでこのようにたくさんのことに触れられます。
このような生活を送っていたため、多くの考え方を学べたと感じます。私はイギリスの公立の中学校に通っていたのですが、今通っている日本の公立高校のカリキュラムと比べても違うなと感じることがあります。例えば保健の授業です。イギリスの保健の授業は直訳すると「人格的社会的健康教育」(Personal Social Health Education)になります。この授業では日本の保健の授業で学ぶいわゆる体の健康だけではなく、社会的な健康(いじめ、経済問題など)や精神的な健康(うつ病、パニック障害など)について包括的に学びます。この授業を通して私は以前までに持っていた考え方が変わったと感じます。特に精神的な健康については、初めてここで知りました。日本社会ではタブー視されているこのトピックについてイギリスでは生きる上で重要な知識として学び、友人同士でも何も隠すことなく話し合います。このように「周りと違っても大丈夫」という寛大な雰囲気は、自分を持つということと、自分とは違う考え方も受け入れること、という私にとっては大事な考え方が生まれるのに重要であったと思います。
また、海外生活を送っている中で自分の意見をはっきり言う、ということを学びました。私の周りの人は自分をしっかりと持つ人が多くいました。ゲイの友人は虹色の旗を部屋に飾り、楽しそうにプライドのパレードに参加したり、フェミニストの担任の先生は女性の権利についてよく話をしていたりしました。このようなことに影響を受け私もはっきりと意見を言っていました。「フェミニストは怖い」などの偏見をいう人やゲイを面白がる人たちは日本にもイギリスにもいます。ですが、イギリスではこのような偏見を持つ人がいても「自分を持つ」という雰囲気がありました。
しかし、今は「周りに合わせる」という日本社会の風潮に流されて、以前のようには自分の意見を言うことがだんだんと難しくなってきたと感じます。ですが、以前のように簡単に声を出せなくても、今なおそれを目指し頑張っているのはイギリスにいた時に周りにいた人たちのおかげです。私はロンドンで沢山の経験をして、沢山の考え方を身につけました。日本に帰国して、それがいかに貴重なことであったかと感じます。ロンドンで得たさまざまな経験は私の大切な、一生の宝物です。
お役立ちコラム
海外赴任に帯同する家族に役立つ団体を紹介します。
フレンズ 帰国生 母の会
「フレンズ帰国生母の会」は1983年、海外在住体験のある母親たちが発足したボランティア団体です。赴任地での生活や教育関係で知りたいこと、帰国後の学校選びや困りごとなどさまざまな相談を受け付けています。
相談は電話、メール、フレンズオフィスとオンラインでの面談が可能です。毎年発行している「母親が歩いて見た帰国生のための学校案内」は、首都圏の中学校と高等学校の帰国生入試要項のほか、帰国担当の先生と在籍帰国生から入試や学校生活の様子をインタビューした訪問記などを掲載しています。
問い合わせ先
電話:03-6633-4096
HP:http://fkikoku.sun.bindcloud.jp/
※こちらは、2023年12月1日発行の「海外赴任ガイド2024年版」を元に作成しています。紹介内容が原文と異なる場合もあります。