さてMBA留学を目指している方から以下のコメントを頂きました。
「キャンパスビジットをしたいのですが、英語力の無さがバレてしまうのが、怖いです。
出願前の質問事項をメールで送っている段階から、英語力を見られている、と聞いた事がありますので、神経質になっています。」
この方は現在日本在住で、留学のために日々もの凄い努力をされている方で尊敬しているのですが、このコメントに関しては僕はこれは典型的な日本人が陥りがちなポイントであり間違っているなと思います。
もちろん最低限のレベルは必要です。ただTOEFLとGMATという最低限のハードルを越えていさえすればそのレベルにはとっくに達していると思います。
特に米国人は、語学力などその人の特徴のほんの一部にしか過ぎず、"スキル"(日本人が英語を表する時に好んで使う用語)の一つとも思っていないと思います。まぁ英語とはその国の言語なのだから話せて当たり前という捉え方もあると思いますが、どちらかといえば語学力以外のところで人間の中身を判断しているというほうが正しいと思います。
もちろん、日本人が先進国の中でももっとも英語が使えないのはTOEFLの点数など客観的な面からでも明らかですが、それはただ 1) 必要性が無い(日本語が話せれば十分幸せに生きて行けます)ということと、2) 日本語表現の特徴から頭が切り替えられないだけじゃないでしょうか。
特に 2)が日本人エリートがはまっている点で、『俺は難しい英語表現を使えないから話せない』と思い込んでいる節が多々あります。
日本語ではある程度の語彙力やイディオムなど表現力で知的レベルが分かってしまいます。みなが同じ言語を使っているから、高いレベルを発揮しないと差異が生じないからでしょうか。
英語の場合は違います。
単純な言葉を使って簡潔にシンプルに言いたい事を伝えられない人というのは逆にアホな人なんじゃないでしょうか。オバマだって難しいことは何一つ言ってませんし、外国人がやたらと難しいイディオムを使いこなす必要は皆無です。
シンプルな言葉には逃げ場がありません。言ったまま100%伝わります。
逆に、難しいイディオムは聞き手にいくつかの解釈を選ばせる余地を与えます。
What I Wish I Knew When I was 20 by Tina Seelig
以前に紹介したこの本、邦訳も結構売れたようですが、英語で一度読んでみてください。非常に(日本人が思う)平易な英語で書かれています。スタンフォードの教授でもこのような英語を書くわけです。
よく日本でも言われているように、英語ではストレートに物事を伝えることが好まれます。それはその通りだと思います。なので、逆に複雑なイディオムを間違ったニュアンスで使うより、シンプルな中学生の教科書に書かれている英語で簡潔に伝えることに何も悪いことはありません。
日本だったら、「子供みたいな文章書くな」と怒られるかもしれませんが、英語ではそれは当てはまりません。
また、話せないことを恥じてはいけないと思います。
日本人はあまりに英語恐怖症だと思います。
他の外国人が「発音がダメだから」「流暢に話せないし」なんて言っているのはほとんど聞いたことはないですね。
輝かしいキャリアを外国で積んできた、それ自体が何よりも素晴らしいことであって、語学力など一部の特徴に過ぎません。それが原因でMBAのアドミッションに悪い評価を下されるということはありえません。
まぁあまりにひど過ぎるレベルだと困るのでTOEFLとGMATという足きり試験がありますが、あれは所詮"試験"なので、時間さえかければどうにでもなりますし。(まぁ僕は超一流校を受験していないのでそこそこの努力でこれらの試験を終了することができたので話は別かもしれませんが)
これらの両試験を無事乗り越えられた方のメールの文章が、知的レベルを疑われるくらい無茶苦茶な文法で書かれているとは到底思えません。むしろ、複雑な表現は避けた方がいいです。日本人英語初心者が使わない表現を使うことで(日本人にとっては)知的に一瞬見えたとしても、ネイティブにとっては知的だと一ミリだと思われません。表現の使い方を間違うことの方のリスクの方が大きいです。
むしろ、逆にキャンパスビジットを連発しまくってつたない英語でも自分をアピールすべきだと思います。
でも僕の上の文章を読んで「なんだ英語力は無くてもいいのね」なんてちょっと安心した方がいたら、残念ながらそれは大間違いなのかもしれません。
それ以上にその人の総合力をアドミッションは見ていると思います。
ここでいう総合力とは、清潔さなど外見的なもの、誠実さなど内面的なもの、さらにスキル(音楽、ファッション、スポーツ、ダンスなどなど何でも)や経験、知識など合わせた人間力のこと。
特に大学院に入ってから気づきましたが、同級生達と話す時はたとえ英語がペラペラ話せたとしても、中身が無い奴はすぐ簡単に無視されます。
知識で言えば日本で求められているものとは多少違うと思います。
例えば政治・経済・歴史・グルメ、この辺りは確実に押さえておかないと、(それなりの層と話す時は)全く会話になりませんし、これに加えて宗教に関する知識(これはかなり広いジャンル。中東情勢や妊娠中絶などもこのカテゴリーに入る)も必須です。
意見には何が正しいということは(おそらく)ないと思いますが、自分の意見・立場をこのそれぞれのジャンルで持ち合わせていないと本当におもしろいくらいに無視されます。途端にハブかれます。僕も何度も部屋の隅っこで寂しい思いをしました。これは本当にショックです。
むしろそれを一回味わうと、英語力なんて全く気にならなくなります。日本語で歴史の本を読み始めるようになります。中東情勢のニュースをむさぼるように読むようになります。まずアホだと思われたくないから。
僕自身、日々怠慢で勉強不足であるがために未だにこれらのジャンルの多くの部分において全く知識も意見も持ち合わせていないので、いつ話を振られるかと日々戦々恐々です。正直な話、それが怖くて仲間の集まりに行きたくないことも多々あります。
しかもある程度英語を話せるようになると、
「自分の意見はもちろんあるけど、英語が全く話せないからうまく表現できないんだ。わはは」という"卑怯な切り札"も使えません。(実は昔よく使ってました。あぁ情けない。。笑)
ようは完全な無知を曝け出すことになります。
アドミッション、すなわち米国人って、結構総合的に人間を見ていると思うのです。日本人は外国人と相対するときに語学面ばかり気にし過ぎて他の9割の実力が出ていないように思われます。
最後になりますが、もちろん語学力はあるに越したことはないです。洗練された発音、語彙力、文法力があって何も悪いことはありません。むしろそれがないとどこかで確実に行き詰ります。僕もいつになったらまともになれるのかと悲しくなるくらいです。
ただ、それを言い訳にして世界に出るのを踏み止まるのは大きな間違いだと思います。
それはここでは全く評価されないのです。
特にキャンパスビジットならば旅費もかかりますし躊躇するのも分かりますが、メールならばガンガン送った方が僕は良いと思います。
ちなみにアカデミックな分野で勝負する方(科学者とか)や、国際機関勤務などを目指される方は、上記のことは全く当てはまりません。ネイティブ並みの語学力が無ければ全く通用しませんので。
お、さらに最後の最後になりますが、米国人女性にモテたい方も、結構な語学力を含んだ総合力が必要かと思います。まぁ僕は全てで二流なのでダメですが。
逆に日本人女性の方は米国人男性にモテるには語学力は全く必要ありませんのでご心配なく。うらやましい!