英語が不要な時代が すぐそこに来ているそうです。
片づけと英語で
あなたの暮らしをレベルアップする
バイリンガルオーガナイザーの吉川絵美子
です
現在 TOEI満点めざして勉強中です。
先日 ある会合に参加していて
「英語の学習は不要」という話になりました。
近い将来 すべての英語学校は倒産する。
学校のカリキュラムからも 英語はなくなる。
通訳や翻訳という仕事もなくなるし、
英語が話せるか話せないかは 一切 関係なくなる。
・・・・らしいです。
なぜかというと 翻訳・通訳機能を持った機械やソフトが開発され
言葉の違いによる意思疎通のあらゆる問題が 解消されるから。
確か 30年ぐらい前にも そんなことを言っている人がいました。
もうすぐ翻訳機が開発されるから
言ったことを吹き込めば その場で どんな言語にも翻訳され
自分が いろんな言語を学習する必要は 一切なくなる、と。
確かに 翻訳機の性能は どんどん上がっていて
機械翻訳で そのまま通しただけの 粗削りな内容でも
そのまま 使っちゃうようなケースも出てきているようです。
(何かの商品の説明とか?)
音声認識ソフトも優秀で
昔は 必死で 英語がわかる人が聞きとりをしていたのが
今は ほぼ話すのと同じ速度で 機械が勝手に 「字幕」にしてくれます。
ひとつの言語を 認識する能力がこれだけ上がっているのだから
それを 違う言語に 瞬間的に翻訳できる時代は もうすぐそこまで来ています。
だから もう 英語は不要
いかにも そもそも言語学習が苦手な方が考えそうな事ですよね。 (バッサリすみません)
そもそも多言語が話せない人は
例えば 英語から日本語への翻訳は
オセロを 白から 黒に返すように
一つ一つ 言葉を入れ替えて行けばいいだけ、と思っています。
だから いつまでも話せない。
実際には 1つの言葉に 意味が一つだけという事はありません。
Hello という挨拶ひとつとっても
「こんにちは」の時もあれば 「もし もし」 の時もあるし
語尾が上がれば 「いらっしゃいますか?」という時もある。
ましてや 一般的な動詞ならば
意味が 10個以上あるのは珍しくない。
「go = 行く」 以外にも 意味はいろいろあります。
さらに あとに続く言葉でイデオムを形成し 別の意味に変化します。
go with で 「似合う」という時もあれば 「賛成する」という時もある。
でも ただ単に 「一緒に行く」という意味になる時もある。
そこには 単語だけでなく
文の構造や 前後関係、
もっというと 「話の流れ」 で 意味が変わってくるわけです。
確かに 機械の性能は上がっているので
定型文の文書や 契約書、誓約書などは
コピー機を通すように 「自動翻訳」できる時代がくるかもしれない。
でも 言語によるコミュニケーションは 事務的なやり取りだけではありません。
ビジネスにおける商談や交渉でも
いきなり要点だけのやりとりという事はありえません。
言葉の裏にある 心理的な駆け引き、
言葉の選択、 論理の構成、
時々 あえて 話をずらしたり
かと思うと 核心をついてきたり。
同じ商品を売るのに
定型の「商品説明」を作れば
誰でも ものが売れるかというと そんな事はないのと同じように
同じ言葉でも それを発する人によって ニュアンスが違ったり
受け手の印象が 変わることが あります。
だいたい すべての言葉が 別の言語に置き換えられるはず、という発想が
あまりにも 視野が狭いというか 何というか・・・・。
日本語にだけあって 他の言語にないような言葉は たくさんあります。
その逆もまた然り。
つまり 翻訳できる言葉がないものを 言葉を尽くして
わかるように説明するのも 「翻訳」なのです。
要するに これからの時代 自分の言いたい事を
他人や機械を通して 代弁してもらっているような人間は もうダメなのではないかと。
ネイティブと同じように話せる必要はありません。
しかし 世界の共通語である「英語」というツールを自由に使いこなし
自分の考えを 自分で説明できる能力は むしろ 欠かせなくなるのではないでしょうか?
確かに 当たっていると思います。
英語関連産業は 衰退していくでしょう。
通訳・翻訳業も 需要が少なくなるでしょう。
英語ができる、できないも たいした能力として勘定されない時代がくる。
なぜなら 誰もが 英語ができて 当たり前な時代な来るから。
勉強は必要か?とか
大学に行く必要はあるか?と同じような
「人生の選択の問題」 になっていくのだと思いました。