中国旅行で囲碁対局を演じるAさん
4日(土)晴。44回目の結婚記念日で天安門事件の日である。3年先輩で尊敬するA先生が3年近い闘病の後、天に召された。私同様、お酒が大好きだった先生を口実に昨夜の通夜、今日の葬儀後のお斎の席で飲み、かつ思い出を語りつくした。今は虚脱感が・・。
Aさんは同じ社会科教師として、市販の資料集やにいがた歴史紀行を共同執筆した研究仲間だった。新潟市教職員組合の執行委員長として教育長交渉の先頭に立ち、沈着冷静さと状況判断の的確さ、舌鋒の鋭さには定評があった。私はその下で執行委員をやった。
私がシンガポールから帰国し、県下一の大荒れ校と言われたF中に赴任した時、その最も荒れたクラスの担任として父母や仲間とともに荒れた3年間を乗り切ったことは、小さな体に似合わず、固い信念と勇気とリーダーシップなしにはなしえなかったことだった。
兵馬俑も一緒に見学
子どもや父母の信頼をかちとるために大きな役割を果たしたのがAさんが週一回発行された「はかはかだより」という学級通信だった。私はこの通信に大きな影響を受け、週一回のスタイルも確立した。1年分をお借りして、先生が子どもや親とどう接したかを知った。
奥様の話では毎週金曜日の夜はウイスキーの瓶を片手に深夜まで書いていたとのことだった。「はかはか」の意味をお聞きすればよかった。便りの特徴は学校内で起こったことは包み隠さず語り、いわば情報公開の場にしたということである。もちろんご自身の意見も。
私が何より助けられたのは、娘の不登校に悩み、私の通信が書けなくなり、当時朝日新聞の新潟版に連載中だったコラム欄の筆も折っていたとき「気負いすぎじゃないの、我々は教師である前に普通の親であり、人間だということだよ。吐き出せば楽になるよ」
空海修行の寺で
と声をかけてくださった。私は決意して便りを再開し、娘の経緯をすべて載せた。親の何人かはすぐにお手紙を下さり、「よくぞ書いてくださいました」と喜んでくださった。私に最初に便りの手ほどきをしてくださった故・Y先生と同じことをおっしゃった。
「教師が心を開かなければ、親や子は心を開きませんよ」と。Aさんは懐の深い人で、意見の違う人の話にも耳を傾けた。荒れたF中時代の同僚は数人を除いてすべて校長に出世をしたが、Aさんはまるで関心がなかった。通夜、葬儀にもたくさんの元校長の姿があった。
Aさんは囲碁をこよなく愛し、退職後は電車の定期券まで買って碁会場に通う熱心さだった。思い出は尽きない。ご一緒した中国、韓国、マレーシアの旅も忘れ難い。教師最初の教え子たちのクラス会に今月の13日に呼ばれており、病をおして奥様が付き添って出席の予定だったという。ご冥福を心からお祈りする。
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