15日(日)寒い中にも晴れ間がのぞく。今朝の日報の一面トップは「核ゴミ対策再稼働条件に」学術会議、国に提言へ だが、安倍政権は聞く耳を持つまい。今日は11時過ぎの電車で家内と市中心部の古町で開催の「にいがた冬、食の陣」に出かけた。溢れる人。
在新潟の中国人たちが中国正月(今年は19日が元旦)を祝い、出店がずらり、麺類や肉まんのお店の前には2列にもなる行列。私はどんなに美味しいものでも並んでまで食べたくない主義なので、ただ、眺めながら歩くだけ。北陸新幹線の切符もだが、彼らの気持ちが理解できない。
喫茶店で昼食を済ませ、早々に原発を考える新潟女性の会主催の学習会「どうなる?原発廃炉!」に参加。フィンランドの最終処分場を見てきた立石由美さんの報告と桑原美恵さんの日本の原発の廃炉の現状と課題についての報告。内容報告は明日に回したい。
後藤さん殺害事件をめぐる報道が「テロとの戦い」を口実に自粛の動きが出ていることについて、まさか新潟日報まで及んでいるとは思いたくないが、私の新聞投稿は昨年の10月以来(事件以前からだが)無視され続けている。10日ほど前の投稿も没にされたようだ。ここに転載して、読者の判断を仰ぎたい。
ただ単に私の原稿が稚拙なのかもしれないが、少なくとも一昨年までは投稿文が没にされた記憶がない。気のせいか、最近の投稿は身辺の生活や個人的な思い出にかかわる内容が多くなった気がするのだ。たまに政治的意見が載るには載っているが・・。思い込みか?
マスコミのあり方を問う
後藤さん等2人の邦人人質事件は私たちに様々なことを考えさせてくれた。先ずは日本とイスラム諸国との関わり方である。多くの識者が指摘しているように、欧米諸国とイスラム諸国との長年の対立の中にあって、日本は良好な関係を保ってきた。
その一番大きな理由は日本が憲法第9条を「武器」にこの地域に軍事的に関与してこなかったことである。この地域で、それこそ「人道支援」のために活動しているペシャワール会など多くのNGOの証言がある。日本が軍事的に関わらなかったからこそ、地域の信頼を得られ、自分たちの安全が守られてきたと。
ところが今回、安倍首相は2人の拘束を承知しながら、外務省の一部進言を退けて中東歴訪に旅立ち、挑発的な演説草稿も自ら書き込んだと報道されている。後藤さんの殺害後、「テロには屈しない」「罪を償わせる」など、首相の発言はエスカレートする一方で、在外邦人の安全を脅かすリスクを高めるばかりだ。これが安倍政権のいう積極的平和主義の真意だったのか。後藤さん報道の過熱はこうした政府の失政を覆い隠す役割を果たしていないか。