働くことの意義は少し難しい話題です。このテーマを研究した人の一人にマックス・ウェーバーというドイツの社会学者がいます。ウェーバーは、人がどのような仕事につくにせよ、その仕事は天職であるといいます。仕事には貴賤の別はなく、人はそれぞれ与えられた仕事にまい進することが大事だというのです。
これはキリスト教のプロテスタントの人々が信条とする「プロテスタンチズム」から生まれた考え方です。仕事は人が選んだものではなく、人は仕事に召されていると考えられます。さらに人々は生きるにおいては、節約し消費を抑えて投資することが奨められます。働くことによって蓄えたものを社会の発展に用いることが大事だ、とウェーバーはいいます。興味ある考え方です。
しかし、こうした考え方は、近代化とともにプロテスタンティズムの信条がいつのまにか後退し、営利の追求が目的化するようになっていきます。仕事によって蓄えることが、社会のために役立てるのではなく、自分の富を肥やすことになっていくのです。
ウェーバーが今生きているとすれば、資本主義の精神は、彼が生涯の研究の課題とした仕事、働くこと、その価値からは大きく逸脱したものと映るはずです。