2日(水)快晴。猛烈な暑さでここ2日間くらい、夜はエアコンの部屋に逃げている。百十数年振りの暑さと言うのは納得がいく。連日庭の命のアサガオが咲きまくっている。例年なら、そろそろ終わりなのに。コシヒカリも今や北海道に適した米になりつつあると。
昨日、菅直人、小澤一郎両氏の共同記者会見を途中から聞いた。小澤一郎と言う男は不思議な男だ。権力欲の塊のような人物だが、英雄不在の世の中だから、寡黙で強引なところがリーダーとして頼れそうな雰囲気を醸し出すのだろう。危うい人物だ。
逆に管直人も鳩山由紀夫も饒舌、多弁で言葉の軽さと共に頼りない印象を与える。どっちにしても政治家のあの「国家国民のため」という言葉は聞きたくないなあ。黙って国家国民のために働いて欲しいものだ。政治の後進性が日本をますます貶めている。
フィンランドの学力の高さの秘訣は教師にあると言われている。あるPISA研究者の言葉を借りれば、「フィンランドの教師たちが他国に比べ全く自由であり、広範な決定権を持っているからだと考えている」と。不適格教員を排除し、教師の研修を強化し、子どもの成績で教師を評価・管理する日本のやり方とは全く逆の発想に立っているということである。
95年に教師になったリッカ氏の言葉「改革(94年)で一番大きく変わったことは、・・教育現場の学校の教師が裁量権を持てるようになったことですね。子どもたちに教える内容や教え方を教師が自分で決められるというもの。教材やカリキュラムも独自に作ります。教科書も自分で選ぶのです。私が受け持っているクラスの方針を決めるのも私です」
「自分で選び、自分で決めていくのは、ある面で負担がかかる作業です。年配の教師はよく私に言った。“子ども中心の教育”に転換したことで『仕事量が凄く増えた』と。愚痴を言いながらも現場は活気に満ちていた。行政や親からの信頼が意欲につながる」
行政や親からの信頼の証は教員評価制度がないことである。一人ひとりの子どもが違うから、一人ひとりの教師の仕事もまた違うと解釈するわけだ。教師は自己評価して日々研修に努める専門家とみなされる。中間管理職は極力少なくし、行政費用は低コストとなる。
一方で家庭の経済的・文化的格差を徹底して埋める施策。例えば図書館が人口比にして日本の6倍。小学校から大学まで無料。義務教育では鉛筆、ノート、消しゴムなど一切の教材費も無料。小規模校をできるだけ残す政策。もし遠方まで通う場合は通学費も無料。高校生以上で下宿する場合には宿車代の補助。日本のように経済的格差によって進学校を断念したり、変更することはあり得ないようになっているのだ。
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