26日(土)快晴。従来天皇の妃候補は皇族、伯爵以上の華族の家系の娘が有力候補として、選考対象にされてきたという。それはいずれも学習院女子高等科卒業生の会である「常盤会員」からというのが、太陽が東から昇るように決まったことと考えられてきた。
皇太子と美智子妃の結婚は59年4月10日のことであり、私が高校に入学した年である。私はそれほど関心はなかったが、世はあげてミッチーブーム、テニスコートの恋、初の民間からの嫁入りと大騒ぎだった。テレビの普及にも大きな役割を果たすことになった。
皇室に対する素朴な国民大衆の感情を政治的に利用とする策謀は戦前からあった。戦後の天皇による全国への行幸は明らかに政治的目的を持って企図されたものだし、この結婚も翌年に迫った60年安保反対闘争を鎮静化させる一定の役割を果たしたことは疑いない。
河原氏の著書によれば、有力候補が本人の忌避や周囲の反対で次々に消え、元華族以外に対象を広げざるを得なかった。たまたま当時東宮職参与であった小泉信三氏、その友人松本重治氏の語らいの中で聖心女子大学を首席で卒業した正田美智子に白羽の矢をたてた。
テニスコートの恋を演出したのはこの二人だった。周囲の御膳立てがあったにせよ、二人が恋に落ちたのは事実だった。常盤会は会長で東宮職参与の松平信子(秩父宮妃の母)が巻き返しに出たが及ばず、皇太子の結婚は皇室会議(議長首相以下9名)で承認。
案の定、常盤会や右翼系団体からのいやがらせが相次いだという。正田家が積極的に売り込んだかのようなデマを流した。父英三郎氏をはじめ家族はこぞって反対だった。英三郎氏などは記者の質問に「天皇制はいつまで続くんでしょうねえ」と不安を漏らしたほど。
信じ難いのは国会での自民党平井義一議員の質問である。「新憲法で恋愛は自由、皇太子殿下も人間だから恋をする、というのだろうが、国民の象徴が銀座の喫茶店に行ったり、自分のしたいことをしても国民は尊敬するだろうか。皇太子が軽井沢で見染めて自分がいいというのなら、我々の子どもと変わりないではないか」この時代錯誤的質問!
宮内庁の答弁も噴飯ものだった。「世上、軽井沢で恋愛が始まったように伝えられているが、その事実は全くなく、その事実は全くなく、テニスを一、二度された程度のことだ。(実際は六度)」と事実の否定に躍起になっている。皇太子も普通の恋をする。一般国民同様に「両性の合意に基づく婚姻」(憲法第24条)が国民の共感を得たミッチーブームだったのに。こんな雰囲気だから美智子妃や雅子妃がその後、どれほどの非人間的な因習に悩まされるか想像を絶する。特に幕府の大奥制度にも似た女官制度である。
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