ここはクアラルンプール・タイムズスクエアというビル。
イギリス統治時代から使われていると思われる古い建物が沢山残っているこのエリアにプドゥ刑務所跡(以後プドゥ刑務所)はあります。
イギリス統治時代の1895年に建設され、以来1996年まで100年間も使用されていた刑務所です。
日本との関わりとしては第2時世界大戦のとき、日本がマレーシアを統治していたときには日本軍もこの刑務所を使用していたそうです。
日本との関わりとしては第2時世界大戦のとき、日本がマレーシアを統治していたときには日本軍もこの刑務所を使用していたそうです。
現在は道路拡張のため刑務所の周りを囲っている壁の一部が取り壊され、新たに刑務所構内寄りに壁が作られています。
ここは刑務所正門です。

1996年に刑務所としての使用が終わった後、博物館として一般に公開されていましたが1998年末にはその公開も終了し現在完全な廃墟と化しています。
1996年に刑務所としての使用が終わった後、博物館として一般に公開されていましたが1998年末にはその公開も終了し現在完全な廃墟と化しています。
一説によると一般公開のときには百叩きの刑罰の模様や絞首刑のビデオ映像も公開されていたそうですが、、、
これは監視塔ですね。
マレー建築様式ですが、デーモン閣下の頭を思い出します。
あれもマレー様式でしょうか。
「先日プドゥ刑務所の外壁の工事やっている人に中に入ってもいい?と聞いたらいいよって言われましてね。明日またプドゥ刑務所の中の写真撮影に行ってきます」
写真家のFさんからそんなメールが・・・・
Fさんはマレーシアのやがてはなくなってしまうであろう古い建物などを写真に記録しておこうと活動しています。
この日はスエーデン製の70万円というフィルムカメラ、ライカのずっしり重いデジタル一眼レフカメラを持参してきていました。
奥さんはSONYのミラーレス一眼
この監視塔にもマレー風の装飾が施されています。
何か潤いと威厳を感じさせます。
クアラルンプールに引っ越して以来、いつかはこのプドウ刑務所の中に入ってみたい。 悪いことをすれば他の刑務所に入れてもらえますがここプドウ刑務所の建物の中に見学者として入ってみたい。
モノレールに乗って高いところからプドウ刑務所の全景を見下ろすたびにそう念願しておりました。
時にはたまたま正門にいた警察官に頼み込んで冷たく追っ払われたこともあります。
どう贔屓目にみてもこういう頼みごとをするときFさんはいつも得をしている。
この前など日本から送ったカメラの器材大きなダンボール箱ひと箱
本来ならLCCTの空港近くのPOSで関税をたっぷり徴収されても可笑しくないところタダだったそうだし・・・
何か民族の垣根を越えて、この人を困らせてはいけないというオーラが・・・・
人徳というのだろうか。
「俺も行きます」
ということで私も同行させてもらいました。
ここは正門を入ってすぐにある刑務所管理棟のような建物です。
刑務官がここに詰めていたんでしょう。

刑務所の正門前で待ち合わせ。
刑務所の門は固く閉ざされていて、どこから入ったんだろうと素朴な疑問が・・・
Fさんを待つこと5分
来ました来ました。
サンウェイの自宅からバスに乗ってKLセントラルへ、そこからモノレールで来たそうです。
「KLでは駐車場が難しいですからね」
Fさんは言いました。
それとこちらのバスは暴走族かと思うくらい飛ばすので早い!
「バスの手すりに掴まっていても足が浮く時があるのよ」
Fさんの奥さんは言いました。
雨が降るとバシャバシャと雨漏りがするし、プラスチックの座席はヒビだらけ、おまけに待てど暮らせどなかなかというかさっぱり来ない。
「こちらの暮らしは忍耐力が強くなりますね」
昨年12月マレーシアに引っ越してきたばかりのFさんの奥さんは言いました。
まったくそのとおりです。
そこがまたマレーシアのいいところですけどね。
外壁の写真を撮りながら半周したら刑務所外壁工事の飯場があり、目の前の刑務所の外壁が取り壊されなくなっています。
ああ、ここから入るんだ。
Fさんはここの建設工事を請け負っている会社の現場所長らしき人に刑務所の中に入る許可を貰いに・・・・
事務の女性に案内されて所長室へ・・・
所長室のドアをノックすると中から40代と覚しき所長さんが現れました。
「え、中に入って写真を撮りたいんですか? そりゃいいですが、何があっても自己責任でお願いしますよ」
ここでもオーラを発してスンナリ許可をもらってしまいました。
どうもFさんは得してるな。
新興宗教の教祖ができるんじゃなかろうか。
これは刑務所内側から見た正門の扉
刑務所の中には作業員らしき男が一人付いてきました。
「前回来たときも一人付いてきましてね、帰るとき少しでいいからお金を、と言われました」
そんなわけで何時でもすぐ出せるように、10リンギット札一枚を財布から出してポケットに別にして入れときました。
刑務所の建物は伸び放題に伸びた草木に飲み込まれそうでした。
この建物の外れに死刑場があったそうなのですが、今は取り壊されていました。
その場所で思わず合掌
受刑者を収容する建物は3階建で >ー< の形をしています。
かまぼこ型の窓一つ一つが独居房になっています。
網戸があるわけでなし、さぞや蚊に悩まされたことでしょう。
「いい雲でしょう」
Fさんが言いました。
写真家はそういうところも見ているのか・・・・
そういえば私など絶対撮らないような何の変哲もないような汚れた壁も「これいいですねえ」と撮影していました。
確かにいい雲です。
建物の中に入ってみました。
アーチ型の入口一つ一つが独居房です。
朝から雨が降って蒸し暑かった日ですが内部はひんやりとしていました。
どこからか囚人の声が聞こえてきそうです。
ここだけ時間が止まったような感覚になります。
その時代犯罪の当然の報いとして自分が囚人としてここに居たらどんな想いがしただろうかと思ってしまいました。
狭く暗い階段を足元を確認しながら2階に上がって1階部分を見てみました。
鉄製の支柱には転落防止用にロープが張られていたのでしょうが今はありません。
我々に付いてきた作業員によれば、この棟の一番先が刑場があったところだそうです。
一番端の独居房の隣が処刑場ですから、そこにいた受刑者はいたたまれなかったことでしょう。
3つ並んだ穴は何のための穴だったんでしょうか。
独居房の扉は分厚い木製でした。
各室に番号が付けられ、小さな覗き窓が2つ。
中には粗末な寝台があるだけ、広さは2畳半くらいでしょうか。
トイレはありません。
ここでどんな夢を見たんでしょうか。
トイレです。
ここは便器が3つ並んでいますが多いところだと10個くらい並んでいました。
夜中にこっそりというわけにもいかなかったでしょうから、ここで用をたすのは修練だと思うしかなさそうです。
水浴び場
刑務所構内には靴の絵が描かれた建物がありましたが、作業のあとここで汗を流したのでしょう。
このプドウ刑務所は近い将来取り壊され、跡地は交通ハブとしての開発案が挙がっているんだとか。
この歴史的な建造物が取り壊される前に見られたことは幸いでした。
刑務所の駅よりに空き地があってそこに車がいっぱい止まっていますが、そこは駐車無料だそうです。
おわり