弥彦の紅葉
17日(火)曇。朝ご飯がおいしく食べられることが、健康的だと思っている。朝は家族バラバラでそれぞれが自分で用意して食べる。私は納豆、筋子、めざし、梅干しのいずれかがあれば十分。味噌汁に漬物。ご飯を食べるのは朝だけ。夕飯は晩酌に料理のみである。
改めて日米地位協定の売国性を前泊氏の著書から引用しておく。地位協定によって米軍に与えられている特権。①財産権(日本国は、合衆国軍隊の財産についての捜索、差し押さえなどを行う権利を持たない)②国内法の適用除外(航空法の適用除外や自動車税の減免など)③出入国自由の特権(出入国管理法の適用除外)
④米軍基地の出入りを制限する基地の排他的管理権(日本側の出入りを制限。事件・事故時にも自治体による基地内の調査を拒否)⑤裁判における優先権(犯罪米兵の身柄引き渡し拒否など)②基地返還時の原状回復義務免除(汚染物資の除去義務の免除など)
弥彦の紅葉
当然のことながら、これらの特権による日本国民の被害は、米軍機の低空飛行による爆音被害、犯罪米兵の国外逃亡、返還された軍用地の汚染物質除去費の日本側負担、実弾演習による民間地への被害、米軍の事件・事故による沖縄県だけで復帰後6000件を数える。
こんな屈辱的な地位協定を押し付けられて、それの改定を戦後70年経ってもはっきりと求められない日本という国は一体何なのかということだ。日米地位協定だけではない。11年の福島原発事故で4年半も経って11万人もの人が避難を余儀なくされている現実を見よ。
田畑を奪われ、故郷を追われている現実に政府も東京電力も誰一人として罪を問われず、原発再稼働などという馬鹿な政策を許している日本国民とはどんな民族なのか。巨大な事故が起こったのに警察も検察も捜査に入らない不思議さは沖縄の現状と酷似している。
弥彦の紅葉
最近、戦争と沖縄と原発は同じだという議論がしきりになされるようになった。78年、四国の伊方原発訴訟で一審判決で裁判長は「原子炉の設置は国の高度の政策的判断と密接に関連することから、原子炉の設置許可は周辺住民との関係でも国の裁量行為に属する」とのべ、裁判権を事実上放棄した判決があった。
92年、最高裁はこの判決を追認し、「原発の安全性の審査は原子力工学はもとより、多方面にわたる極めて高度な最新の科学的、専門技術的知見に基づく総合的な判断が必要とされる。から、内閣総理大臣の合理的判断にゆだねるのが適当(相当)であると「判示」
これは、まさしく最高裁砂川判決をなぞるもので、これなら裁判所はいらないことになる。日本には三権分立もなく、法治国家とは到底言えないのである。








