19日(木)快晴。今朝の地元紙の「旧植民地の郵便貯金・43億円宙に浮く」のニュースにはびっくり仰天だ。朝鮮半島・台湾・東南アジアなどの郵便局に現地人を含む住民や軍人が貯金を預け、払い戻しを求めないまま残されている口座が約1900万もあるというのだ。
内訳は民間人の外地郵便貯金が約1800万口座、22億円。軍人が野戦郵便局などで預けた軍事郵便貯金が70万口座21億円だという。韓国人は日韓基本条約に基づき対象外だと言う。元従軍慰安婦や旧軍人が訴訟を起こしているが認められていない。
べらぼうな話だ。ここにも日本政府が戦後処理をなおざりにしてきた姿が露呈されている。事あるごとに問題になる日韓基本条約締結に至る戦後の経緯を見ておこう。日本の敗戦によってアジア諸国は次々と独立を果たしたが、なぜ朝鮮半島ではそうならなかったのか。
日本植民地下の皇民化政策と徹底した弾圧によって共産主義者や自由主義者は日本国内同様獄に繋がれており、その弾圧振りはソウルの西大門刑務所跡(博物館)の展示物を見れば理解できる。ベトナムのホーチミン率いるベトミンのような独立運動の組織はなかったのか。
孫文やホーチミンは国内外に組織を構築し、いつでも蜂起できる体制を整えていた。韓国では1919年の3・1独立運動の流れを汲む独立運動のメンバーであった李承晩(イン・ス・マン)を大統領とし、金九らと上海に大韓民国臨時政府を樹立していた。
しかし、この政府を承認する国はなく、陰で支援した蒋介石やアメリカでさえ承認しなかった。李承晩は戦後アメリカに引っ張り出されて48年初代大統領に据えられるが、事実上傀儡政権で3年間はアメリカの軍政下にあった。独裁者としてのイメージが強い。
20数年前、初めて韓国を観光で訪れたとき、世界的には民主主義の弾圧者、独裁者と知られている彼が反日・反米の民族主義者として高く評価されていることを知って驚いた。しかし、結局は民衆や米国に見放される形でハワイに亡命したのは独裁者の末路であろう。
日韓基本条約の立役者は1961年「反共・親米、腐敗と旧悪の一掃、経済再建」を掲げてクーデターを起こして政権を握った朴チョンヒである。朴は極貧の生まれで、満州国国軍予科、日本陸軍士官学校卒業で決起の時は少将。当初から日本からの賠償金が頭にあった。
創氏改名による日本名は高木正雄。同期に先日紹介した新潟の金泰振、自民党幹事長をやった梶山静六がおり、後輩に後大統領になる全斗換、盧泰愚などがいる。根っからの軍人である。この朴も独裁者で金大中などの弾圧で知られるが、国民の人気は高い。
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