ナシレマが飛ぶように
25日(日)快晴。朝市の賑わいは大変なものだ。もう半年近くも毎週日曜日に出ているのに、まだ新しい発見があり、つい1時間はいてしまう。今朝はソイのような魚とネギ、豆乳を買っただけ。ネギを適当に取り上げて、いくら?2RM? 1でしょ!じゃあ1で決まり、といった具合。
昨日歩き過ぎたので、今日は読書とテレビ。読書は城山三郎著「粗にして野だが卑ではない」第5代国鉄総裁・石田禮助の国会における自己紹介の弁が題名。日本には石田や本田宗一郎、井深大等、気骨のある財界人が沢山いた。最近の財界人の堕落ぶりは何だ!と言いたい。
テレビはベトナムで農民を支援する伊能まゆさんという女性のドキュメントや戦後史証言プロジェクト、日本人は何を目指してきたのか「在日コリアンの軌跡」という1時間半のドキュメント。日本の植民地支配や戦後史の中で翻弄され続けてきた在日コリアンたち。日本人は先ず事実を知り、心からアジアの人々に謝罪することから向き合わなければ、永遠に近代国家になれない。
ナンも
日本からのメールの中に柏崎刈羽原発再稼働阻止の運動をやってきた仲間から、明日の東電によるベント設置についての説明会への参加要請があった。その中に「フクシマの収束も被害者への賠償責任も果たさないばかりか、最近の海洋への汚染水垂れ流しに見られるように、東電にこれ以上原発を運転する資格もない、ましてや権利などない」とあった。まったくだ。
実に最近の日本企業や経営者のモラルの低下は目を覆うばかり。さて、シンガポールで日本が何をしたかに入るのだが、その前に、私のシンガポールとの関わりを書かせていただきたい。私は1981年4月から84年の3月まで、シンガポール日本人学校に勤務した。
私が赴任した81年末から教科書問題が持ち上がったこと、日本人学校の生徒の現地人に対する態度がよくなかったこと等の課題があったことや日本とシンガポールの関係史について当時の日本人会機関誌に執筆依頼があったことが重なり、日本人墓地やシンガポール大学の図書館に通い、調べ、からゆきさんから書き始め、日本の敗戦まで連載した。シンガポールで初めて知ったことも多かった。
調理用バナナ
在職中完成させた社会科副読本「シンガポール」を当時の日本大使館が記者会見で現地記者たちに、その副読本をかざし、学校ではこのように教えていると言い訳に使われたりした不愉快な思い出もある。とにかく私は帰国後、滞在中の経験をもとに「シンガポールの日本軍」を上梓した。
発売後、出版社(ゲンと同じ汐文社)を通して私宛てに、氏名も住所もない、しかも左手で書いたかのような汚い文字で長文の脅迫まがいの手紙が送り付けられた。丁寧に読んだらしく、何ページの何行目と指定して罵倒する内容だった。私はこの手紙を3年生の憲法21条「言論出版の自由」の教材として使わせてもらった。事実に誤りがあるなら、受け入れるにやぶさかではないが、日本の「皇軍」がそんなことをやるはずがない論は受け入れがたい。
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