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NO2456 日本軍はマレー半島で何をした(3)

中国人会館の前で
8月24日 (8) 24日(土)快晴、寒い。KLは36度もあるのに。それでも北九州から先日来られた方は日本の方が暑いと言われたとか。日本語塾は今日明日ともお休みになった。リーダーのOさんがNGO「Crop Life」という農作物の有機栽培を広める団体の指導者でインドに出張。

 他のメンバーも体調を崩したり、KL行かれたりと、忙しいようだ。そこで今日は朝粥の帰りは単独行動でブリンチャンからさらに2キロのケアファームまで歩いてきた。往復14キロ歩いたことに。甘いものが食べたくなってUncle Chowへ。なぜか最近空いている。リークアンユー氏がここに逃げてきた話は知らないと。Chow氏は私より若いかな。

 ブリンチャンは中国人の街。先日お盆は日本独特の習俗だと報告したばかりなのに、どうもお盆行事らしきことが行われている。先祖の霊が戻ってくるのかどうかは聞く術もなかったが、ろうそくと線香、それに甘き物や肉、お酒のお供え。つい、彼らの行動を商売繁盛に繋げて、見てしまう。

ろうそくと線香を立て
8月24日 (1) 西海岸に出た日本の部隊は上陸4日後にはジットラを占領し、激しい抵抗が予想されたペナン島に向かう。それに先立って145機によるペナン島空襲を行った。英軍はあっさり放棄した。ここで2000名と言われる華僑虐殺事件が起きているが陣中日誌(軍の行動記録)には「不祥事」などと記されているが。虐殺事件のことだろう。ペナン島は今日本人に保養地として人気だ。

 マレー半島における華僑虐殺事件については、何年もマレー半島に学生を連れて訪れ、その事実を掘り起こした琉球大の高島伸欣氏や関東学園大の林博史氏の著作を読んで欲しいが、主なものだけでも、ペナン、ネグリセンビラン州、マラッカでの事件が有名。

 英軍は本土がヒトラーとの戦いやロンドン空襲でアジアにまで手が回らず、戦意を失っていたこともあり、日本軍の快進撃は続いた。ここから最も近い都市イポーも落ちた。最大の激戦は12月28日から6日間にわたって続いたイポーの南カンパルの戦闘であった。

参拝者への振る舞い
8月24日 (4) イポーの街は元々錫鉱山の発掘で発達した錫と鉄道の街である。ペラ州の州都はタイピンであったが、日本軍占領時代にイポーに移され、今も州都となっている。イポーから200キロ南の首都クアラルンプールは相当な抵抗が予想されていたのに、あっさりと11日陥落。

 その後マラッカ、セレンバンやゲマスの戦闘はあったものの、1月31日夕にはシンガポール対岸のジョホールバルに突入、サルタン宮殿を占領した。ジョホールバルは現在マレーシア第二の都市。(3位がイポー)サルタン宮殿の別邸に大隊本部を置いた。

 丘の上にあるサルタン宮殿からはシンガポール全体が見渡せる。(当時は高層ビルなどなかったから)ところが日本軍はなぜかここに8日間も滞陣した。なぜか、2月11日の「紀元節」陥落に照準を合わせるためである。国民への宣伝効果を狙ったのだ。思惑は外れ、陥落したのは15日だった。

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