50軒余りのオランアスリ村
23日(火)快晴。今日はフリーの日。マレーシアは漢字で馬来西亜、キャメロンは金馬崙と表記されている。先日キャメロンテイ―ハウスへの帰り道、金馬崙華人義塚(墓地だろう)を見つけ、その奥に原住民のオランアスリ村があると聞いていたので、行くことにした。
おにぎりと水を持ち、10時半に歩きはじめる。いきなり急坂を下る道でジャングルの中を行くが、舗装された道である。初めての道は多少不安を伴うが、迷うことはないだろう。華人義塚らしい道に入る。立派な墓が10数基ほど、成功者の墓か、周囲は大根畑だった。
普段の手入れはないのか、草がぼうぼうだった。ここを植民地にしたイギリスはゴム園や茶園には南インドのタミール人(セイロンでのリプトンテイーの栽培経験)を錫鉱山の開発には中国南部の中国人を労働者にした。お墓にも福建の名前を読むことができた。
茶畑が迫る村
詳しくは調べないと分からないが、キャメロンの中国人はそれらと関係のない商業活動ではないか。85年~1931年ころまで開発が続きた。それに伴ってブリンチャンを中心に中国人社会が形成されたのだろう。日本占領下のシンガポールから脱出してここに隠れたという初代首相・リー・クアン・ユーは誰を頼ったのか。調べてみたい。
ここも占領した日本軍が敵性産業として茶園の栽培を禁止するという蛮行をやったのだから、こことて安全な場所ではなかったはずだ。リーは当時20歳くらいで、まだ有名人ではなかったから無事逃げおおせたのだろう。氏が終始日本に厳しい発言をした背景である。
谷底まで降りたかと思うと、また急な登り道。登りきると段々畑で女性が一人で機械を使って草刈り作業。懸命な仕事ぶりで、声をかける余裕もなかった。白菜、茄子、インゲン、大根等を斜面一杯を使って栽培している。よく見ると、水はホースで引いている様子。
のどかな暮らし
ここの雨の量では作物が全て固くなるのは頷ける。そこから又谷底に向かって降りていく感じだ。その間、2台の車と3台のバイクとすれ違う。こちらからも声をかけたが、降りてくる若者の一人は満面笑顔で片手をあげて通り過ぎて行った。街に出るのだろう。
二つの山と谷を越えてやっと村が見える地点に。子どもたちの元気な声や鶏の鳴き声も聞こえる。ざっと数えて50軒余り。マレー人特有の高床式ではないが、少し高いトタンぶきの家屋。洗濯物が所狭しと吊り下げられていた。この子たちもタナラタの学校へ?
タイやベトナムでも少数民族の村を訪ねたが、場所によっては手作りの民芸品を売って観光客を歓迎する村もあったが、ここは違う。考えた末に遠慮した。茶畑の縁に村があるというより、彼らの村に茶畑が進出してきたということだろう。今は共存している感じ。今日も3時間ほど歩いた計算になる。
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