新潟海岸の花
19日(日)ようやく体のだるさが消え、昨日から歩こうという気力が湧いてきた。夜中の喘息気味の咳が残っている。今朝のサンデーモーニングという番組に橋下市長が出演し、弁明に追われていた。真意なるものを語れば語るほど、彼の差別意識が浮き上がってくる。
同じ維新の石原慎太郎との歴史観の違いも(実は同じだろうが)明らかになってきて、ますます自民党の補完勢力振りが露わになってきた。自民党は彼から距離を置こうとするだろうが、憲法観が一緒なのだから、いずれは吸収される方向に向かうのではないか。
気づいたら、まだ自民党の改憲案の検証が途中だった。最近は改憲論者たちが前面に出てきて議論を展開するのはいいのだが、そもそも憲法と他の法律との違いについて誤った論理を国民に吹き込むのが困る。憲法は法や国家を縛るためのものだという基本である。
新潟海岸の花
中学の歴史で必ず登場する1215年のマグナ・カルタ(大憲章と訳されている)がある。日本では鎌倉時代にあたるが、法の支配という近代法の基礎になるものだが、当時のイギリス貴族や国民が王と言えども、法に服する、つまりは国王の権限を制限するとの内容だ。
各国の憲法はこの王権の制限と国民の権利拡大の歴史と言ってもいい。だから、そもそも憲法は権利規定が多く、義務と言えば、国王や国家の義務であって、国家の権力の乱用を防止するのが憲法である。従って権利が多すぎるという改憲派の主張は筋違いなのだ。
自民党の改憲案などの内容にほとんどの国民は関心などないと思われるのに、世論調査などでは「改正に賛成」などの割合が5割を超えることがあるのは極めて危険である。公明党などが主張する環境権などの新しい権利を盛り込むことへの単純な賛成論ではないか。
松の木に絡まるつた
実は自民党の改憲案で最も危険なのが第3章の「国民の権利及び義務」の中身である。権利が多すぎるとの基本的視点に立ち「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」と、上から目線で国民に命ずるかのよう。
現行憲法は「国民はすべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保証する基本的人権は侵すことのできない永久の権利として、現在および将来の国民に与えられる」と無条件に権利を保証している。旧憲法下で国家がいかにこの権利を侵害したか。
権利と義務が表裏一体であることは自明の理として、フランス人権宣言に規定があった。従って、現憲法も12条に「国民はこれを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う」と規定し、法の運用によって濫用を防いできたのだ。
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