山古志村の闘牛会場
5日(日)快晴が続いているが、体調が悪く、心は晴れない。蕁麻疹が引かず、むしろ上半身に広がってきた。診たてが間違っているのだろう。それで薬が効かない。今日も救急病院へ行ったら、なす術がないから点滴を打つしかないと。医師も専門化し過ぎでは。
点滴に疲れて、昼寝をした。旧皇室典範の制定過程をみると、明治9年案には女性も継承出来る、11年案は出来ない、13年案は出来る、18~19年案は出来る。最終的に旧憲法にも関わった井上毅は「できない」との案を伊藤博文に提出して伊藤は井上案を採った。
民間の議論はどうだったのか自由民権結社である嚶鳴社において「女帝を立るの可否」について議論され、参加者16名のうち8:8で議長の決に寄り否定。東京横浜毎日新聞(現毎日)に掲載された。男尊女卑が圧倒的だった当時としては注目すべき結果ではないか。改憲派が言うように圧倒的な日本人が男系男子が伝統だとは考えていなかったのだ。
アルパカと孫
皇位継承順位を直系優先、長系優先等としたことは制度上やむを得ないと思うが嫡出優先としつつ、皇統を維持するために庶子も認めたことは大きな矛盾で、旧典範第4条に「嫡出ヲ先ニス庶ヲ皇庶子孫ノ皇位ヲ継承スルハ皇嫡子孫皆在ラザルトキニ限ル」とあった。
庶子を認めることは、側室(妾)を認めるということで、一夫一婦制の否定、人倫の道にも反し、万世一系が欺瞞であることの証明にもなる。大正天皇含め以前の天皇も皇室典範の例外規定に則った天皇だということになる。大正天皇は幸いに4人の皇子に恵まれた。
大正天皇は世間的には馬鹿にされ、軽んじられているが、自由奔放で自分の意見を率直に表現した人間らしい天皇ではなかったか。今の皇室典範のままでは、愛子天皇はあり得ないことになり、無理に男系にこだわることは天皇制を国民から遠ざけることになる。
復活した山古志の棚田
旧皇室典範も大日本帝国憲法も明治22年(1889年)発布だが、改憲派は自分たちの手本としている旧皇室典範でさえ圧倒的多数ではなかったことを知るべきだ。国民に受け入れられる天皇制を求めるなら、国民並みの権利と義務を皇族にも求めるべきではないか。
成人年齢は国民の成人年齢20歳を天皇家並みに18歳とすればいいし、民法上の養子を認める。皇統譜など不要だし、まして美智子妃や雅子妃が実家に出入りするなど当然の権利として保障されるべきである。相続税以外の税金の納付義務も課すべきは当然である。
そもそも多くの国民が日本の伝統だと思わされている天皇の年代を元号で数えさせる一世一元の制や男系男子も、神式の天皇葬儀でさえもが伝統でもなんでもなく、江戸時代までは全く違っていた。明治以降の政治的に生み出された事実であることを再確認しよう。
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