小学校に入った最初の年CPが終わる頃には、みみは
「ずっとブザンソンで暮らしたい。ずっとジュリエットやエマやみんなと一緒にいたい。」
と言うようになっていた。
考えてみたら、みみは人生の半分以上を海外で過ごしていた。
時々、学校の子供達の親に
「みみのフランス語は、他のフランスの子供達と何も変わらないよ。顔を見ていなかったらフランス人だと思うわ。」
なんてことを言われた。
「ありがとう。私はもうみみのフランス語を聞き取れないこともよくあります・・!でも、その分日本語の勉強が遅れていますからねえ・・。みみは、いつか日本に帰る子ですから・・。」
と私。
みみは沢山のお友達と仲良く遊んでいた。楽しそうに。
色々あったけれど、ここが楽しい、好きだと思ってくれる時がきてよかったという気持ちと同時にいつか来るここを離れる時の心配も。
そして、みみが今、日本の義務教育を受けていないということに焦りも感じていた。
みみは、朝8:30から夕方17:00近く(特別補習を希望する場合は18時まで)まで学校でフランス語漬けで、迎えに行くと私にまでフランス語で話しかけてくる。
フランスの学校の宿題も多く、漢字や九九を覚える時間があまり取れない。
家の中では私や夫と日本語で話したが、みみの日本語の中には沢山のフランス語の単語が入り、フランス語式に“行く”と来る“や”はい“と”いいえ“を反対に言った。
そして、同じアパルトマンに住んでいるジュリエットやエマは、私達の家でも一緒に過ごす時間が長い。
私は、できるだけみみの日本語を正しく直し、バカンスは日本語の勉強のみをさせた。(幸いフランスの休みに宿題は出なかった)
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