花は年中咲き誇る
8日(月)晴れ,風強し。このシリーズを閉じたいのだが、なかなか終わりが見えない。先日、私のブログに採用になったばかりと思われる教師から「本気に新潟の教育界は終わっていると感じています」とコメントした人がいるが、若者にそう思わせるほど教育現場は絶望的だ。
私が教師に採用されたのは67年、66年前である。今思えば、教育の反動化が進行し、高度経済成長という背景の下で、日経連や経済同友会という日本の経済団体から政府(教育界)への要求(企業の役に立つ人間育成)が次々と出され、政府がそれに応えようと必死だった。
当然、労働運動も盛んだったから、それを潰し、経営者や管理職の言いなりに動く組織にしたかったのだ。それに抵抗し、教育の中立を守ろうとしたのは私たちである。それを安倍や自民党の歴代政府はあたかも日教組が教育を捻じ曲げたかのごとく宣伝している。国民もそれに乗せられている。
マメ科の花
敗戦直後教育界は改革の気迫に溢れ、教師は生き生きとして教育にあたった。文部省が敗戦2年後の47年に出した「学習指導要領―試案―」には「これまでとかく上の方から決めて与えられたことを、どこまでもそのとおりに実行すると言った画一的な傾きがあった」
「こんどはむしろ下の方からみんなの力で、いろいろと作り上げていくようになってきたということである。これまでの教育では、その内容を中央で決めると・・どんな児童にも画一的にあてはめ・・教育の実際の場での創意や工夫がなされる余地がなかった」と。
「ただあてがわれた型の通りにやるのでは、目的を達するに遠くなるのである。そういう工夫があってこそ、生きた教師の働きが求められるのであって,型の通りにやるのなら教師は機械に過ぎない。我々は児童を愛し、社会を愛し、国を愛し、立派な国民を育てる」なんと素晴らしい文章ではないか。
これはなんだろう
日本の文部省の役人の文章である。さらにこの試案は「新しく児童の要求と社会の要求とに応じて生まれた教科課程をどんなふうに生かして行くかを教師自身が自分で研究していく手引きとして書かれたものである」教師の自主性や創意工夫を尊重する態度だった。
私に社会科を教えてくれた当時の先生方はこの文部省の試案に奮い立ち、自作資料を作成し、授業に臨んだであろうことは容易に想像できる。今は新採の教師が面接で貴方が現場で重視したいことは?と聞かれ「一番は子どもの声です」と答えたところ、面接官が「何をいうか!学習指導要領である」と叱られたというのだ。
問題は現在、親たちがどちらの立場を求めるかなのだが、恐らくは教委の立場であろう。そこが情けない。親は自分の子どもにしか関心を示せなくなり、日本の教育の将来や、日本の教育のおかしさなどに目を向ける余裕など持てないように追い込まれているのではないか。
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