日本人が多いグリーンヒル
2日(火)快晴の下テニスが出来た。私の批判に応えるかの如く、国民栄誉賞や松井秀樹氏の受賞について、ネット上で批判記事が出てきた。当然のことで、しかも今回の話は安倍の発案で、長嶋氏の前に松井秀樹氏を表彰する話だったというから、いよいよ政治的だ。
私が教員になって最初に書いた論文が「社会科の教科書がどう変えられてきたか」と題してのもので、73年7月のことである。29歳の時だ。教師になって、いざ教科書を手にして驚いたのは、自分が中学時代に習った教科書と比べて、余りの違いにショックを受けた。
55年(昭和30年)の中京出版の教科書に「独占の害」という項目があり「独占企業は・・わざと生産を少なくしたり、勝手に値段を吊り上げて高い価格で消費者に売りつけたりする。もっと困るのは国の政治にまで関係したり、国の外交を左右することもある」と。
バックパッカーの宿
65年年代に入ると、「独占の害」という項目は消え、「独占の問題点」となり、記述も「ときには大きな力を持って政治にまで関係することがある」と薄められ、「外国商品との競争にうちかつためにカルテルを作ることが必要と考えられるようにもなっている」
72年になると、独占資本、独占企業という言葉も消え、一つの資本、大企業となり、問題点という項目も消え、「企業間の競争では弱い企業は負けて倒産してしまい、強い企業だけが残るようになる」とそれは当然の論理だという表現に変わった。検定の結果である。
挙げれば、きりがないのだが、その後の教科書検定の中で事の本質を隠すような書き換えが次々と求められた。侵略を進出、米軍基地を米軍施設及び区域、原発の老朽化を高経年化、敗戦を終戦と言った具合に。それは同時に学習指導要領の改定に基づく要求である。
干物は人気
単なる文部省告示でしかない学習指導要領の改定で教科書内容を次々と書き換えるという信じられないようなことが進行していたのに、何も政治問題化しなかったのも不思議だが、文部省や自民党は法律によってそれを成し遂げる自信がなかったからに他ならない。
47年の段階では学習指導要領は単なる試案であったが、文部省は「これまでの教育では、その内容を中央で決めると、それを一様に当てはめようとした。だから、画一的になって・・創意工夫がなされる余地がなかった。本当に生きた指導をしようとする心持を失わせた」
と述べ、戦前の手法をはっきりと批判していた。さらに「学習指導要領は児童や生徒の学習の指導に当たる教師を助けるために書かれた書物であって、教師の手引きとして役に立つもの」とまで解説して教師の自主性を尊重していた。今や教師を縛るものとなった。
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