ストロベリーホテルの一部
13年4月1日(月)快晴。今日も松林を片道30分歩いた。今日のニュースで長嶋、松井氏に「国民栄誉賞」にはおや?と思わざるを得ない。家内は「長嶋さんはともかく、松井さんは何をしたの?」大選手には違いないが、国民栄誉賞って何?と思わざるを得ない。
この賞は福田赳夫内閣が国民の人気取りのために設けられた。王貞治氏や美空ひばり氏など誰も異存のない人選もあれば、どうも政権浮揚のために政治的に人選されている気配もあることに疑問がある。今回も裏に読売新聞社の渡辺恒夫氏の暗躍はないのだろうか。
教科書検定の話に話題を戻したい。教科書検定とは教科書の執筆・編集の段階で国家がその内容について事前に検閲をやるということである。検閲とは戦前、軍人(父)が家族(母)に送るハガキや手紙の文面を投函前にチェックし、「検閲済み」の後投函された。
野の花
戦後、日本国憲法第21条に「検閲はこれをしてはならない」と規定したが、言うまでもなく主語は国家である。民主主義国家なら、常識の話だから教科書検定制度を持ついくつかの国では「誤字脱字」のチェックに限り、内容の審査までやらないのが一般的である。
日本も、近代国家になった明治初期(5年=1872年)は自由発行・自由採択でスタートした。もっとも日本では欧米の国々が驚いたように、江戸時代の教育レベルの高さの背景に寺子屋や塾、それに藩校(官学)があり、その教科書は自由発行であり、師匠が決めた。
教科書の自由さばかりか、幕府や藩などの行政は教育への干渉どころか、指導方法等について指示さえしなかった。師匠は自分の信念や方法により自由に教育に当たり、保護者の尊敬や信頼は極めて厚かった。そのことが高い教育水準を実現することに繋がった。
明治期の教育に統制が始まったのは、政府の中央集権化が進むにつれてである。80年(明治13年)に使用禁止書目が発表され、翌81年には採択した教科書を監督官庁に報告を求めた。83年には認可制、そして86年(明治19年)検定制になり、1903年国定化された。
その間に何があったのか、思い出していただきたい。1894年(明治27年)に日清戦争が起こされ、1904年(明治37年)に日露戦争が起こされている。つまり、戦争を前に国民世論の統制が必要だったということである。そのためには教科書による思想統制が必要。
その後の歴史もそうなのだが、教科書と言うのは権力者にとって最も重要な思想統制の手段なのだということを国民はしっかり認識すべきである。従って先の大戦での敗戦は当然、教科書の国定化の否定、自由発行自由採択が実現するのは当たり前のことだった。
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