豆乳を売る店
22日(金)今日は孫娘が東京の大学に入学が決まり、その送別の昼食会に呼ばれ、日航ホテルのバイキング料理を食べてきた。一人2000円だが、とても元を取れるほど食べられるものではない。孫たちはや私を除く家族は元を取っただろう。満席だから驚いてしまう。
同じ日航ホテルでは、付属小の卒業を祝う会とかで、着飾った親子が続々。小さいころから、こんな育て方をしているから、子どもがダメになるのだ。我が家周辺の政権交代前から始まっている住宅建築ラッシュを見ても、どこが不景気なのかと思ってしまう。
前に報告したことが、フランスで再処理加工されたMOX燃料が福島事故で留め置かれていたが仏側の要請で引き取りを迫られ、高浜原発に搬入されることになったとのニュース。事の重大性をマスコミはきちんと伝えていない。プルサーマルを再稼働するということだ。
市場もテーブルへと変化
先日、経産相が使用済み核燃料の貯蔵プールを各原発内に増設する方針を示したニュースも小さなものだった。各原発は勿論、六ヶ所村に運び込まれる使用済み燃料もあと数年で満杯になることへの対応だが、行き場のないプルトニウムを貯めこんでどうするのだ。
教師になった1967年というのは、反対を押し切って韓国の朴・軍事政権と結んだ「日韓条約」から2年後、米軍の北ベトナム爆撃が本格化してから3年後の騒然とした時代だった。同世代で当時街頭にデモに出なかった学生など、小泉や小沢等の坊ちゃん連中だろう。
当時の学生は大げさに言えば、酒を飲めば国を憂いて天下国家を論ずるのが常だった。そんな環境で社会に出れば、政治に無関心なのはむしろ変わり者で相手にされなかったのではないか。まして法律を専攻し、社会科教師となれば、血気盛んなのは当然だった。
KLの市場では豚肉が堂々と
晴れて田舎教師になって十日町という豪雪地帯に赴任した私を待っていたのは10.26闘争という人事院勧告完全実施を求める日教組指令の2時間ストライキだった。前年、建国記念の日が制定されたり、全国学力テストが中止になる等の動きがあった年でもある。
今世間では公務員、ましてや教員が政治に関わる事を忌み嫌うどころか、あたかも犯罪者のような目で見る向きさえある。それが世界的に異常で、もっとも政治に近いところで働く人々を政治から遠ざけたところに日本が世界的に孤立していることを知らないのだ。私には日本の公務員法が憲法およびILO条約違反であるとの確信があった。
先生方は夜中まで激論を繰り返し、ストライキ突入を決めた。ところが、夜が明けてみれば、集会場に集まったのは私を含め少数派。大半は脱落した。生徒は2時間後に出勤した私を拍手で迎えてくれた。当然、処分され、翌年、さらに県境の津南町に追いやられた。
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