街中の公衆電話
5日(火)昨日、今日と天気がはっきりせず、肌寒い。出かける気にもならず、Lさんが送ってくれた資料を読んだり、テレビを見たり、ネットニュースや論文を読み漁っている。中国武漢から一時帰国中のYさんのブログに触発されて、一言書きたくなった。
Yさんは下川裕治氏の「生きづらい日本人」を捨てる、という本のあとがきから「現地では様々な日本人に会うが、『ほどほど』というスタンスで、アジアに暮らしている人と会う時が一番楽だ。日本で会う日本人より、妙に落ち着くのだ」という言葉を紹介している。
そこで、すぐに思い出したのが、もう20年以上も前に読んだ題名も著者も忘れてしまったが、やはり海外に暮らす100人の日本人にインタビューし、その生きざまを紹介する内容だった。そこに同じような感想が綴られていた。海外の日本人が生き生きしていると。自分の国ではなく、なぜ海外なのか。
カメラのない警告
私もシンガポールの3年から帰国した後で「そうだ、そうだと」相槌を打ちながら読んだ記憶があるし、思いは今も変わらない。なぜなのだろうと考え、自分なりの結論は日本人は建前や肩書で人と付き合い、本音で生きていないのでは、ということだった。
特にここに長期滞在(こっちの滞在が長い)している人たちを見ていると、改めてそのことを感じた。ここでは過去の肩書は通用せず、日本人として、人間としていかに生活するかであり、いかに知恵を発揮し、誇りを持って現地の人々と交流できるかが問われる。
日本にいると、周囲に常に配慮し、周囲の目を気にしながら、自分をある程度でも殺しながら生活しなければならない。学校もそうだが自分の個性を発揮するよりも、周囲に合わせることが優先され、疲れるのだ。これは日本特有の風土だと強く感じるのである。
ブリンチャンの医院と薬局
Yさんは以前、国内におけるカタカナ文化の氾濫についても書かれ、それを排除することは今や非常に難しいと。日本のコンビニや百円ショップ、ドライエモンアニメなど生活の向上や夢に結び付くものなら結構だが、世界各地に広がる「カラオケ」は喜んでいいのか自信がない。
KLには恐らくあるだろうが、ここキャメロンには「カラオケ」の看板がないのは私は嬉しい。ただ、大きなホテルで「KARAOKE LOUNGE」の看板は見たが・・。戦時中、この国で現地語化した日本語で恐怖の「ケンペイタイ(憲兵隊)」があったが、若い人は解るまい。
マレー人優遇政策でマレー人が英語を話さず、病院や公共施設の表記もマレー語にこだわって英語併記がないのは外国人にとっては非常に不便である。中国語での併記はあっても若い中国人は読めないというのだから困ったものだ。まして観光地なのだから。
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