国宝・白水阿弥陀堂
19 日(月)天気予報は大きく外れ、秋晴れの一日で午前中をかけて庭木への肥料やり、選定した庭木を束ね、冬タイヤに交換した。もらった渋柿の皮をむき干し柿用に吊るした。何十年ぶりのことだろう。我が家にも柿木があり、秋は柿もぎも子どもの仕事だった。
今思えば、田植えや稲刈り,はざかけなどの農作業の手伝いに始まって、漬物用の大根洗い、芋茎の皮むき、食用菊摘み、鴨のエサ取り、銀杏拾いや柿もぎ、餅つきにカタモチつくり、笹団子づくり、何でもやらされ、それが今の生活に生きているような気がする。
柏崎・刈羽、とりわけ刈羽村の村長選挙に淡い期待を抱いたのだが、2000体1000のダブルスコアで負けた。村民は安全より生活を選んだということだ。悲しい。被災地に行ってみればわかることだが、福島の人間とわずか200キロの新潟のこの温度差は何だ!
阿弥陀堂の紅葉
さて、古賀茂明氏の著書「官僚を国民のために働かせる法」の中から、あまりマスコミが書かない部分を拾いながら紹介してみる。そもそも「官僚」というと、公務員全体をさすと受けとめる人もいるが、国家公務員の1種試験合格者いわゆるキャリアを指す。
古賀氏が批判するのはこのキャリアの「官僚」で一般公務員「ノンキャリア」ではない。マスコミも公務員批判を展開する際、この区別をしていない。キャリアは採用時点から給料表も昇進のスピードも違う。天下りの恩恵を受けられるのはこのキャリアに限られる。
「公務員なら絶対に食いっぱぐれることはない」という安定志向の公務員は、ノンキャリアに多く、省庁の中でも財務、経産より弱小省庁に多いと。「世のため、人のため」と考えて、公務員になる人も一定割合はいるが、最近は「普通の人」の集団と化していると。
極楽はこんな所か
古賀氏自身は東大法学部出身でエリート中のエリートだが、採用当時はともかく、仕事をするうちに「世のため、人のため」との考えが強くなったと。深夜に霞が関に行けばわかるが、電気が煌々とついているのを見て、働き者だなどと騙されてはいけないと。
評価すべきは深夜までとか朝まで残業することではなく、どんな仕事でどんな結果を出したかだと。実際、日本社会のおかしな点は長時間労働や残業を「やる気や熱心さ」と評価する風潮があることだ。大体は時間ばかりかかる不毛な仕事をだらだらとやっていると。
学校でも同様で、例えば成績処理でも締め切りを守るのが大事なのに、だらだらと残業して締切さえ守らない人は沢山いた。どんなに残業しても教員には残業手当は出ないから、自分が困るだけだが、電気代や冷暖房費のことを考えれば、どっちが評価されるべきか。
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