まだ咲いている朝顔
9日(火)遠隔操作によるネット犯罪は誰でも逮捕される危険性を白日の下に曝した。案の定というか、最初は任意で話を聞かれ、後逮捕。「IPアドレスという動かぬ証拠がある」とか「認めれば罪が軽くなる可能性がある」警察、検察は聞く耳を持たなかったという。
だから、捜査段階での全面可視化がすぐにでも求められる。元厚労省局長の村木厚子さんの事件を思い出してしまった。日本の警察の捜査技術の優秀なのは認めるが、警察組織の上から目線、人権感覚、つまりは民主主義的な組織観に欠けるような側面がまだまだあると感じる。
警察組織に限らない。日本の民主主義は借り物で日本人の精神構造に根を下ろしたとはとても思えない。普遍性や合理性のない事柄でも「日本の伝統」とか「日本人の物の考え方」で片づけることが多い。人類の普遍的な価値である「自由と平等」は伝統とは違う。
10月10日の朝顔
日本にも住民自治の歴史はある。戦国時代の自治都市大阪堺、18世紀、フランス革命より20年も早くここ新潟市に、僅か2ヶ月間ではあるが、町民による自治都市が実現した。どこの国でも自分たちの代表は自分たちで選びたい、大事なことは自分たちで決めたいと思ってきたということだ。
そうした自分たちで勝ち取る民主主義の芽は育っていたのに、明治政府は国家の統一と富国強兵、殖産興業を優先した。欧米の物質文化は模倣輸入したが精神面の近代化は遅れ、頭は封建社会そのものだった。こうしてすべてが中央集権的な体制が出来上がった。
旧憲法下では地方自治の考え方そのものがなく、全てが上意下達の行政組織の中でお上(お役人)は偉いもの、盾ついてはならないものという日本的な考え方が浸透した。それでも25年に普通選挙法が成立し、国民が初めて議員を選ぶことになった頃は議員は名誉職だった。
ナスもたわわに
井戸塀政治家との言葉が生まれたように、政治家になれば財産を使い果たし,井戸と塀しか残らなかったという訳だ。それが今や政治家になることは蓄財の手段となり、中学生が最もなりたくない職業に堕落してしまった。地方自治はその歯止めになるはずだった。
新憲法は地方自治を第8章に独立させ、地方のことは原則地方の住民が決めると書き込み、95条にはある特定の地方にのみ適用される法律を国が定めるときは住民の過半数がそれに同意しなければ制定できないとまで定めた。これが地方自治の本旨である。
原発の再稼働を住民投票に委ねることは事の本質になじまないとか、議会が民意だから、ダブルスタンダードになるなどと妙な議論をまともにやっている。全く地方自治を理解しない議論で、私たちは首長や議会にすべての問題について白紙委任したつもりなどない。
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