ミハスの街の入り口
28日(土)今朝はいつものように5時に起きて、オリンピックの開会式を見た。最近のオリンピックはその精神を失い、国威発揚の場と化している。私は単にスポーツを楽しみたいだけなので、メダルの数には関心がない。真の一流選手は人間的にも魅力がある。
今日も署名活動に出かけた。市の中心部古町で10時から3時まで汗を拭き拭き頑張った。いろんな人がいる。80近いという男性「俺は原発賛成なんだけど、原発止めたら企業が海外に逃げるよ」「今、大飯を除けば全部止まっているけどそんな動きないですよね」
教え子からも声がかかる。「先生何してん?恥ずかしいじゃん」「先生らしいですね」と言いながら、みんな署名していってくれる。今日も外国人を連れて立ち寄ってくれた生徒がいた。最後の卒業生になった彼らもすでに24歳になった。金曜日のデモも誘っておいた。
ミハスの白い家並み
I中時代にも様々な事件が起きた。対教師暴力事件が2件。1件はライターをイタズラしていたのを若い教師に注意されたことに切れた3年生の生徒が教師の頭を抱え、廊下隅の防火用収納庫にぶつけてけがをさせた事件である。私は職員会議で出席停止を要求した。
大津中の事件で警察が学校や教委に捜査に入った。今後一般化するのでは。これには賛否両論あろう。従来なら、こうした事態を招くことは学校の恥とさえとらえられてきた。私の考えは少し違う。学校は教育の場であると同時に社会のルールを教える場だと思う。
在職中よく論争したのは、修学旅行は校内のルールをやめて、一般社会のルールを適用して試すべきだと。例えば、入浴時時間や人数を決めて回転を速める。一般社会では、風呂場に行って混んでいたら、自分で判断して時間を調節するのが普通だ。それも認めない。
青空に似合う白い家
校内で生徒間や対教師暴力があれば、教育的ペナルテーを受けるのは当然ではないか。だから、戦後47年成立の学校教育法26条に「児童の出席停止」を設け、「他の児童の教育に妨げがあると認める児童があるときは、その保護者に出席停止を命ずることができる」
と規定したのである。ところが、停止を命ずる権限を教委としたのは重大な誤りだった。もっとも公選制教委を念頭においた規定で、現在と同一には論じられない。いずれにせよ、ドイツやタイのように校長に権限を与えるべきだった。日本の校長は余りに権限なしだ。
I中の場合も校長は教委に上げることはしなかった。校長のマイナス評価に繋がり、恥と考えたのだろう。加害生徒に反省させる機会を失った。その生徒は平然と翌日登校した。私は被害教師にも警察に被害届を出すべきだとさえ言った。校長はそれも認めなかった。
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