トレドの大聖堂
12日(木)毎日のように原子力村の醜聞が明らかになっているが、みんな不感症になり、マスコミの扱いが小さくなるばかりなのが怖い。一昨日明らかになった醜聞は、大飯原発の活断層調査をめぐる専門家会議の一般傍聴者リストを保安院が警視庁に提供していたと。
保安院は「誤解を与えたかも」と言い訳しながら「警察からの要請もあった」と答えている。私にとっては驚くことでもない。巻原発反対運動の中でも集会参加者の名簿が警察にわたっていた事実もある。脱原発や反原発者は犯罪者並みに扱われているということだ。
さて、国会事故調の報告はその都度取り上げることとして、報告書が冒頭で指摘した「政府と東京電力の事故対応の模様は、日本が抱えている根本問題を露呈することとなった」という「日本の根本問題」とは何かについて考えてみたい。日本がおかしいということだ。
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実は私自身も1981年に初めて海外に出て、その後長期滞在を含めて30数ヵ国を巡り、滞在し、様々な国の人々と会話し、その国のシステムについて日本との比較研究をやって気づいたことである。当初は日本が普通で、他国がおかしいのだと思っていた。
ところが、調べれば調べるほど、日本が異質で、普遍性や合理性を持たないことをやっているのだと思うようになった。在職当時も「国際理解教育」だの「グローバリゼーション」などの言葉に疑問も感ぜず、同調さえした。どこの国にもそんな言葉はなかった。
それは日本がいかに非国際的でアングローバルな閉鎖的な社会であるかの裏返しでしかなかった。しかも「グローバル化」というのはアメリカナイズすることで、日本の国益を損ねるものでさえあるということにも思至らなかった。恥ずかしい限りである。
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とりわけおかしいと思ったのは、国家統治の仕組み、教育のシステム、労働法制をはじめとする働き方についてである。全てに共通するのは社会主義国に匹敵する極端な中央集権主義である。特に教育分野がそうだが、もはや異質を飛び越して異常というべき状態だ。
日本のすべての統治システムは良くも悪くも明治の開国以来、欧米を手本としてきたはずである。ところが、今やそれは似て非なるものとなった。理由は欧米が時代に即して、民衆の要求や運動に基づいて、変革の努力をしてきたのに、日本はそれをしてこなかった。
しばらく働き方の問題を取り上げるが、ヒントになるのは新潟県妙高市在住の環境ジャーナリスト・関口博之氏の「日本では何事も企業本位に事が運ばれ、つねに国民に痛みが求められていますが、ドイツでは逆に国民本位で、常に企業に痛みが求められています」という言葉である。
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