トレドのアパート群
30日(土)今日の三面記事に「官邸囲む『再稼働反対』大飯原発市民ら数万人抗議」が載った。ツイッターやファエイスブックによる呼びかけで毎週金曜日のデモだと。300人程度で始まったこのデモ、主催者発表で20万人。警視庁は2万人弱と。何でそんなに違うの。
国会や首相官邸を取り巻いて2万人程度であるはずがない。警察は常にデモの数を小さく発表したがる。野田首相はSPに「大きな音だね」と言ったそうだ。赤じゅうたんの上を歩いてばかりでは庶民の声が聞こえない。私も来月16日友人と10万人デモに参加する。
7月8日は新潟でもスポーツ公園(鳥屋野潟)で5000人デモが予定されている。勿論参加する。「新潟県民投票条例制定」のための署名集めやオルグにも参加。とりあえず、4,5日は新潟大学のキャンパスで学生たちに行動を呼びかけるオルグ活動を手伝う。
洗濯物を外に干すのはアジア系?
私たちは巻原発を阻止した時の運動に学ぶべきだ。巻原発が全国的に知れ渡ったのは原発の是非を住民投票で決めるという全国で初めての試みだったからである。96年8月4日のことだった。当時の日本の農村部は首長も町村会も自民党独裁下にあり巻も同様だった。
それを文字通りひっくり返したのは町議選、町長リコールを牽引した母親たちだった。できた組織は「青い海と緑の会」「巻原発住民投票を実行する会」「巻原発を止める会」などで、実行する会の会長(地元酒造会社専務)笹口孝明氏が町長に当選する。
住民投票条例が成立するには議会で多数を占める必要があった。決まったのは11:10とわずか一票差で成立。そして住民投票の8月4日を迎えた。投票率88.29%、原発反対12478票(61%)、賛成7904票(39%)全国がかたずを飲む中、完全勝利であった。
スペインの落書きはおとなしい
あの時の興奮は今でもはっきり思い出せる。賛成派は前年の12月に起きたもんじゅのナトリウム漏れ事故が逆風になったと悔しがった。推進派の議長や町議たちは法的拘束力はないなどと嘯いた。東北電力が正式に断念し、申請書を撤回したのは04年である。
当時の住民運動を新潟日報報道部の記者、デスクとして指揮をした人物が現在新潟市長の篠田昭氏である。誰よりもあの住民運動に学んだはずの氏が原発に対する態度が煮え切らない。岩波書店発行「原発を拒んだ町」を読むと、氏は当時も運動には批判的だった。
巻原発阻止運動は私たちに沢山のことを教えてくれたが、とりわけ、自分たちの権利や環境を守るのは、座して待つだけではだめなのだと。自分たちのことは自分たちで決めるんだという自治意識の重要さである。国の政治があてにならない今日、なおのことである。
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