リスボン市内
28日(月)旅の最終地ポルトガルのエボラへはセビージャからバスで330キロ。ポルトガルは北海道よりやや大きいくらいの共和制国家だ。ユーラシア大陸最西端に位置するが、大航海時代に世界の先導役を果たし、東半球を勝手に自分たちの支配区と決めた。
つまり、西半球はスペイン、東をポルトガルと分け合ったため、中南米はスペイン、ポルトガルは東に向かうことになったため、日本に来た最初の西洋人はポルトガル人となったという訳だ。彼らはインドのゴア、マレー半島のマラッカを拠点としアジアに来た。
種子島への鉄砲伝来が1543年、フランシスコ・ザビエルはスペイン人だがポルトガル王の依頼でインドのゴアへ、そこで出会ったヤジロー等3人の日本人を通訳にしてマッラカ経由で鹿児島へ来たのが1549年のことである。ポルトガルとの交流を示すのは・・。
ローマ支配の名残
カステラ、コンペイトウ、ラシャ、パン、シャボン、カッパ、カルタなど。逆に日本語がポルトガル語化したのがカタナやボンズ(坊主)など。彼らは又イスラム文化も持ってきた。アルコール、アルカリ、シロップ、シュガー、マジック、パジャマ、ソファ等。
ザビエルが伝えたキリスト教はあっという間に信者を増やし、最大75万人もの信者を獲得したという。秀吉や徳川幕府がこれに危機感を感じ、禁教政策をとるようになるのは、キリスト教の平等感が彼らがよって立つ封建制にとって脅威だったからに他ならない。
コロンブスやマゼラン、それにザビエルも出発前に間違いなくマルコポーロの「東方見聞録」を読み、「黄金の国ジパング」に興味を掻き立てられたに違いない。マゼランは世界一周の夢を果たさずにフィリッピンで殺されるが、この国名もスペイン王の名である。
最西端ロカ岬
地球が丸いことが証明された以上、スペイン、ポルトガルの後塵を拝していた新興国オランダ、イギリスが間もなく日本にやってくるのは押しとどめようがなかったのである。彼らがジャガイモ(ジャカルタ経由)カボチャ(カンボジア)もこうして伝えた。
リスボンは風格があり、路面電車も走る落ち着いた首都だった。あちこちにローマ支配を髣髴とさせる水道橋やコロセウム風の建築物も残っていた。ジェロニモ修道院の華麗さは大航海時代の富の象徴のように思われた。庶民の生活との格差はいかばかりであったか。
最後はまさにユーラシア大陸最西端のロカ岬に立ち、到達の証明書をいただいた。世界どこでも考えることは一緒だ。中国の万里の長城に登った時も証明書がでた。何より明るくのんびりしたポルトガル人が印象的だったが、ここにも1775年に大地震の記録があった。
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