石巻
8日(日)宮城県気仙沼市のビジネスホテルでこれを書いている。先週末一旦は震災地行きを断念したL子がかなり迷っているようだった。私のすでにその気はなくなっていたが、このまま帰国すれば、後悔するに違いないと思い、やっぱり行ってこようとなった。
急遽、私の車にETCを取り付け、土曜日の朝5時半にスタートすることに。6時前に高速に乗ると割引があることを初めて知った。おにぎりを持ってスタートしたのは良かったが、磐越道は雪で数センチの圧雪が。会津に向かって雪は激しくなるばかり。一時は後悔した。
郡山まで1時間半もかかり、雪もちらちら、東北道に乗り北上し、泉インターで下りて石巻港に向かう。瓦礫はまとめられてはいたが、何もない風景は変わっていない。テレビは盛んに石巻の様子を伝えたが、今回の旅で石巻以北がもっとひどいことが分かった。
石巻市立湊中学校
女川に向かう途中で一軒だけ難を免れた食堂でお昼をとった。とはいっても、一階は冠水し、電気系統(業務用の冷蔵庫や調理機器等)はすべて失われ、再開に2か月かかったと。L子がベジタリアンだと知ると、肉なし特製の焼うどんをつくってくれた。
前回は石巻の風景に衝撃を受けたが、それ以上に女川での3~4階建のビルがいくつも土台ごと倒壊している風景に息をのんだ。その向かいの高台に歌手・中村正俊の「女川の町は俺たちが守る!!」の横断幕が痛々しかった。彼は確かこの町の出身ではなかったか。
女川から釜石に至る、リアス式海岸沿いの村々は壊滅の言葉がぴったりの惨状だった。L子は道路地図を見ながら、ナビゲートしてくれたのだが、地図に載っている地名に何もないことが理解しがたいことだとだと言った。ドイツで観たテレビ映像とは全く違うと。
中村正俊の決意
南三陸町に入る前の無傷で残ったキャンプ場の中に入れてもらい、上から見下ろす海岸風景の美しさに感嘆の声を上げ、今まで見てきた現実との落差に言葉がないようで、カメラのシャッターを押し続けた。いつか、復興後にもう一度必ず訪れてみたいと言う。
南三陸町に入り、偶然にもあの女子職員が最後まで避難を町民に呼びかけ続けた、骨組みだけの防災センターの前に出た。数十人の人だかりと読経も声。近づいて、驚いた。ベトナムからの慰霊団だったのだ。雪が舞う寒さの中で、両手を合わせ祈りを捧げていた。
ベトナム人の一人が私たちにも線香とろうそく代わりのハスの花をかたどった電灯ろうそくを渡してくれた。私たちは押し頂いて焼香をさせてもらって、お参りをした。読経していたのはオーストラリアや東京から来たベトナム仏教界の僧侶のようだった。
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