ホーチミンのちひろ展
26日(土)Uさんは要介護2、奥さまは3。サービスの利用は朝、昼、夕のそれぞれ30分で合わせて1時間。朝は掃除と朝食作りだから何とか間に合うが、お年寄りが話し相手になってほしいと思っても、その時間はない。話し相手はサービスに入らないのだと。
私の動向予定は朝夕だったのだが、Iさんからお昼も行ってみます?と聞かれたので、喜んで参加した。Iさんは戦時中の写真や資料を用意して待っておられた。私が料理は私の特技ですというと、Iさんはでは夕食用のお味噌汁を。白菜、シメジ、豆腐で作った。
昼食を早々に食べ終わり、戦争話の続き。思い出すままに記してみると、20歳で出征、戦闘中に足を撃たれ、24歳で傷病兵として帰還した。疑問だらけの戦争だったが、目の前に敵がいれば、必死に戦わざるを得なかった。ここまでやるのかと思うことが沢山あった。
ホーチミンの路地
民家に火をかけ、アイゴーアイゴーと命乞いをしながら、家から飛び出してくる大人や子どもを機関銃で撃ち、銃剣でトドメを刺した。負け戦の時は逆に相手兵(蒋介石軍)に同じようにされた。私も足を撃たれ倒れた。その横で戦友がトドメを刺された。
テレビは目が悪く、見られなくなかったUさんは毎日ラジオを聴いている。名古屋市長が「南京事件はなかった」という発言に対しても、とんでもない発言で、自分が見ただけでも数千人は殺した。私が「携行食料もなく、食料の現地調達にしたことは」と聞くと、
あんた詳しいね、そこだよ根本的な間違いは。だから略奪暴行が横行した大きな理由。慰安婦問題だって自分の意思で応募してきた女性もいるかもしれんけど、軍が連行しなければ、あんなに集まるはずがない。慰安所の創設だって、軍の許可なしにあり得ないよ。
旧サイゴン政府の大統領官邸
戦争認識は私とほとんど同じようなので、対立することは全くなかった。結論はあんなでたらめな戦争は二度とやるべきじゃない。戦争の話はお子さんや戦友にされますかとお聞きすると、意外な答えが返ってきた。誰にも話してこなかった。あなたが初めてかも・・。
なぜですかとお聞きすると、「人に話せるようないいことがまるでない。恥になるようなことばっかりだからお互いに黙って墓場に持っていこうという話になるのさ。何回謝っても消える話じゃない。特に朝鮮人の恨みは中国以上だと思うよ。36年も支配したんだから」
Uさんご夫婦を拝見していると、話し相手や外出が何よりの予防やリハビリなのではないかと強く感じた。ご本人も言われていたが、家にいて介護が受けられるのは大変ありがたいと。ドイツはスタート時から在宅介護が基本だったが、日本も今後はその方向である。
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