民族博物館内
17日(金)原発問題については今後は自然エネルギーの現状と将来性について探っていきたいのだが、野田首相は「社会保障と税の一体改革」を掲げ、結局は税の引き上げだけに執着し、そのまま退陣に追い込まれそうな気配なので、社会保障問題を追及してみたい。
しばらくは併行して話題を提供したい。社会保障というと私などが学んだ知識は1917年にロシア革命が成功し、国家の目標を労働者や農民の生活安定に掲げたために、危機感を感じた資本主義諸国が労働者など下層階級をなだめるために考え出された制度というもの。
これがいわゆる通説だと思うが、読み進んでいるドイツミュンヘン在住ジャーナリスト・熊谷徹の本にはロシア革命より前に社会保障を考えた人物がいた。あのビスマルクだと。ビスマルクと言えば受験用知識としては鉄血宰相としてドイツ統一を成し遂げた人。
内部は東南アジア特有
鉄(大砲)と血によるドイツ統一はプロイセン王国から対オーストリア、フランス戦争を経て1871年のドイツ帝国誕生で完結する。そこへ憲法制定準備のため訪れた伊藤博文がぞっこん惚れ込んで、取りこまれてしまう。大げさに言えば日本近代の分かれ道だった。
プロイセン王・ウエルヘルム1世の下で宰相として辣腕を振るったビスマルクに伊藤は明治天皇と自分を重ね合わせたに違いない。帰国後、東洋のビスマルクと綽名され、明治天皇にからかわれたことさえある。しかし、伊藤はビスマルクの悪い面だけを学んだ。
ビスマルクは83年に労働者のための公的健康保険を導入。その後、労働者向けの障害・労災保険、公的年金保険、失業保険が導入され、今日の社会保険制度の基盤が出来た。作業中の事故や職業病等肉体労働ができなくなった労働者も貧困に苦しむことはなくなった。
ベトナム式ちゃぶ台
ビスマルクの狙いは、社会保険を提供することで、労働者の不満を抑え、社会主義思想がドイツに浸透することを防ぐことだった。事実彼は著書の中で「私は社会保険を与えることで、労働者階級の心をつかもうとしました。つまり、国家は労働者が幸せな生活を送れるよう面倒を見ているという印象を労働者に与えようとしたのです」と書いている。
考えてみれば、ビスマルクのこれらの政策は日本の明治初年の頃の話で、労働者を敵視し続けた日本国家の歴史に比べなんという差か。しかも、戦後の西ドイツのアデナウアー政権は57年に年金改革を実施。年金の額を年金支払い時の賃金水準にリンクさせた。戦後、同じように奇跡と言われた経済復興を成し遂げるわけだが、ドイツは社会保障を充実し、購買力を高めることによってそれを成し遂げた。日本は残念ながら、長時間、低賃金、さらには朝鮮戦争やベトナム戦争という特需によって経済復興がなされるのである。
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