日本で初めてアメリカに留学した女子学生といえば、津田梅子がまず思い浮かびます。
明治4年(1871年)、7歳で渡米した梅子は18歳までの11年間をアメリカで過ごしました。
明治15年(1882年)、長い留学生活の終え帰国したときは日本語を忘れてしまっていて、家族と話すことができなかったというエピソードが残っています。
その後英語教師として働き、25歳の時に再びアメリカへ留学、大学卒業後梅子は、残りの人生を日本の女子教育のために尽くす決意を固めました。
そして明治33年(1900年)36歳の時に今の津田塾大学の前身となる学校を設立します。
東京インターハイスクールにはいろいろな生徒が在籍していますが、学習に日本語だけでなく英語で取組めるということもあり、帰国子女や現在海外在住の生徒も多数在籍しています。
子ども時代から思春期の多感な時期を海外の環境や、言語の中で過ごすことは、国際感覚を身につける上でとてもよい機会だと思います。
とはいえ、言語の壁や、カルチャーショックなどを乗り越えることは大きなチャレンジです。また帰国後の日本とのギャップも経験することになります。
また梅子の時代はそれらに加えて、社会の成熟度にもギャップがあり、多感な時期を海外で過ごした帰国子女にとって日本とのカルチャーギャップに悩む様子はたやすく想像できます。
18歳で日本に戻った梅子は、日本女性の置かれている状況を憂慮しますが、苦悩を乗り越えて、生涯を日本の女子教育にささげる決意につなげました。
東京インターハイスクールでも、さまざまな苦悩を乗り越えたり、また葛藤を感じながらチャレンジをしたりと、成長をとげる生徒の姿を日々みることができます。
そのバネを力にこれからの国際社会で、日本と世界とをつなぐ架け橋となる若者が育っています。
さて、晩年の津田梅子ですが、健康状態が悪化し、50代で北品川御殿山に転居し療養しました。
その邸宅があったのは今の原美術館のあたりだそうですが、東京インターハイスクール品川キャンパスから歩いて数分のところにあります。
参照:品川区 品川人物伝
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