アオザイの学生
5日(日)連日の除雪で少々腰に来ている。日本人の曖昧さ、寛容さ、謙譲さなどは、時として美徳に数えられる。人と争わない、宗教上の対立も欧米のように血生臭い対立までには至らない。一方では、何でも水に流し、責任の所在を問わない無責任体制につながる。
朝日新聞論説主幹だった故・笠信太郎氏が「昭和天皇が占領軍の政策によって戦争責任を免れたことが、戦後無責任体制の始まりだった」と喝破したのは、今になってみると実に真実味を帯びてくる。戦後、戦犯が政治の舞台に次々と復活したのはその始まりだった。
「運命の人」の本質であった沖縄機密文書事件の主役であった佐藤栄作首相は責任を問われるどころか、沖縄返還の功績を評価されノーベル平和賞まで貰う始末だ。最近でもJR西日本福知山線事故でも社長は無罪となった。無責任の最たるものは福島原発事故である。
バイクにも乗る
東電の経営者は最近はむしろ開き直っているように見える。自分たちは国策に協力してきただけだという理屈である。安全点検も経産省の保安院、内閣府の原子力安全委員会や原子力委員会の監督や指導に従ってやってきたまでだというわけで、反省はない。
お互いに責任を押し付けあって平然と今まで通り職務に携わっている姿が信じられない。ミュンヘン在住、環境ジャーナリスト熊谷徹氏が昨年9月「社会学者や哲学者が原子力に終止符を打った」という論考で日本とは対照的なドイツ政府や技術者の動きを伝えている。
原発の寿命延長政策を打ち出していたドイツのメルケル首相だが、3.11の3日後の14日に政策の凍結を言明し、1週間後にはドイツでは寿命31年とされていたそれを超える原発の即時停止を命令して、世界をあっと言わせた。日本は1ヶ月後まだ溶融を認めなかった。
定員オーバー?
およそ3か月後の6月6日には原発の2022年までの全廃の閣議決定が行われた。管直人首相が浜岡原発の停止を「要請」したのは5月6日である。このスピード感、責任感の差は何だ。勿論メルケルは独断で決定したわけではなく2つの委員会の意見を求めた。
原子炉安全委員会(RSK)と安全なエネルギー供給に関する倫理委員会である。物理学者でもあるメルケル氏が技術家集団より後者の倫理委員会を重視したというのが興味深い。RSKはドイツの原発は安全だと評価。倫理委員会は「廃止こそ最良の道」と結論。
倫理委員会の15人の名簿を見ると、企業の社長は一人だけ。官僚もいない。社会学者、哲学者、牧師など宗教関係者が大半で、勿論電力関係者は一人も入っていない。この構成もナチス政権下で医学や科学が独裁国家の僕となり人間性を踏みにじった反省に基づくというから、日本の現状は対極にある。
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