紙切れになった国債
11日(日)昨日は私がブログで料理自慢をやったものだから、昔の仲間から「餃子を食べさせて」とのリクエストに応えて3人の女史を招いて餃子パーテイ―をやった。餃子だけではさびしいので、刺身と酢豚を振る舞った。みなさん美味しいと喜んでくれた。
餃子の中身は時々変えるが、昨日は肉も鶏と豚のミックス、エビ、エノキタケも入れてみた。自分で言うのもなんだが、これを食べたら、スーパーの餃子は食べられない。昼間から酒を飲み、酔っ払ってダウン。今朝5時まで12時間以上眠り込んでしまった。
8月と12月は戦争について考える時だ。新聞、テレビの五十六讃美は止まない。日報は良寛に続いて、新潟が生んだ歌人で書家の会津八一の歌を掲載している。今朝は「大空の星に綴りよろづ世に御名は伝へむヤマモトイソロク」八一はこの掲載を喜ぶだろうか。
戦時中の教科書
社会面には長岡市がハワイの追悼式典に派遣した新潟大学や上教大の学生たちの声が載っている。元軍人たちが次々と「自由のために戦った」との演説に上教大の学生が「誰かの命を奪ってまで達成する正義ってなんだろう」と思って納得できなかったと。
この学生の疑問は真っ当だが、新大の学生の「五十六は本当は戦争に反対でした。真珠湾攻撃は戦争を早く終わらせるためだった」とアメリカの学生に語りかけた、アメリカの学生もうなずいていたというのは、本当だろうか。私には詭弁に聞こえる。
そんな理屈が許されるなら、アメリカによる原爆投下も戦争の早期収束のためだったという論理も受け入れざるを得なくなる。歴史に「もし」はないけれど、少なくとも真珠湾攻撃がなければ、アメリカの参戦は遅れたであろうし、太平洋の島々の玉砕はなかった。
書かされた遺言書
日本は300万人もの犠牲を払って8月15日に涙を流したけれど、日本の占領下にあった中国、朝鮮半島、東南アジアの人々はバンザイを叫び、喜びの涙を流した事実に思いをはせられないようでは、あの戦争を悔い、反省したことにはならないのではないか。
私はシンガポールのチャンギー刑務所で戦犯として処刑された135名のことを調査している中で、日本軍によって虐殺されていった遺族たちが戦犯処刑に立ち会うことを要求し、自分の目で確かめなければ納得しないと声を上げ続けた事実を知った時の衝撃は今も残る。
虐殺、略奪の限りを尽くし、昭南神社を建て、異教徒に参拝を強要し、日本語を押し付けて恥じなかったあの戦争をどのようにこじつけようと、大東亜共栄圏建設のための正義の戦いだったと主張する「つくる会」の人々の主張は断じて認めることはできない。
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