デモの標的在ハノイ中国大使館
2日(金)昨日のニュースでもう一つ見逃せないことがある。86年、福井県で起きた中学生が殺された事件の被告で有罪判決を受け、服役した前川さんが、捜査段階からの無実を訴え続け、出所後も再審を請求してきたのに対し、名古屋高裁がこれを認めた件である。
再審というのは、刑が確定した後に重大な新証拠が出てきたときにのみ認められる制度だが、記憶に新しいのは、DNA鑑定という動かぬ新証拠によって無罪となった、足利事件だった。再審ではないが、厚労省元局長・村木厚子氏の場合も検察調書が問題となった。
いずれの事件を通しても見えてくるのは、日本の政治制度、とりわけ司法制度の前近代性ということだ。憲法第38条に「何人も自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない」とある。前川さんの例はこれにあたる。
中国を撃退した王はこの国の英雄
この「疑わしくは罰せず」を保証した規定が厳格に守られていれば、裁判官は有罪判決を下すことはできなかったはずであり、少なくとも、本人が無実を主張し続けているのに、裁判官が捜査段階の警察、検察調書の開示を命じていれば、避けられた事件である。
例えばドイツでは職権探知主義、職権証拠調べと言って、裁判権の権限が強く、裁判官の命令で行政(検察官)に彼らが知り得た証拠を提出させることが当然であるのに、日本では03年頃だったと思うが、最高裁がそれを否定したために、裁判官が消極的になった。
日本の司法制度では特に検察の力が強く、刑事事件では起訴された事件の90%以上が検察の求刑通りの判決が下される。つまり、検察の無謬主義だ。そのことが検察の驕りを生み、大阪地検特捜部の証拠改ざん事件を生むことになったのだ。世界的に異常なのだ。
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戦後、日本の司法制度は3権分立を建前にして、憲法第76条以下に「裁判官はその良心に従いひ独立してその職権を行ひ、この憲法および法律にのみ拘束される」と定め、弾劾裁判以外には罷免も給料の減額もされないと、建前ではなっていることを私は教えた。
しかし、現実にはそうでない現実を、71年の平賀書簡問題を通して、裁判官が裁判所長(行政)や最高裁人事総局によって人事異動や昇進という人事権を握って、裁判に干渉している実態も教えた。最高裁の裁判官人事でさえ、田中角栄内閣以来内閣の思いのままだ。
最高裁人事はアメリカのように議会の承認すら必要としない。日本の検察は江戸時代以来、自白偏重主義であり、自白を迫って後に証拠調べが始まる。鬼平犯科帳や刑事物のドラマそのものである。村木さんの事件によっても、刑事訴訟法の改革は進みそうもない。
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