ホーチミンはこの池を愛した
19日(土)ジャイアンツ騒動が収まらない。どうでもいいような問題だが、オリンパス問題といい、日本の企業の前近代性を示すようで情けない。スポーツを単なる企業の宣伝機関としてしかとらえていない巨人の渡辺王国支配に綻びが見えたことは歓迎する。
球団のオーナーやGMは何のためにいるのか。マスコミは平気で実質オーナーは渡辺だと書き、フアンも会社で上司の命令に従うのは当然だという。ならば、ロボットのようなGM制度など最初からおかなければいい。上司の命令は絶対というのもそれでいいのか。
長嶋茂雄氏が清武解雇は当然との発言も気に入らない。少なくとも清武氏が推進した若手の「育成制度」は評価されてよい。長嶋のようなスターだけを集めた試合は面白くない。監督時代の長嶋用兵は嫌いだった。これを機会にプロ野球の根本問題を議論すべきだ。
散歩コースのザボン
原発推進派には様々な顔がある。電力会社や家族の人々は、その立場上賛成せざるを得ないのは理解できる。その他の原子力村の人々はほとんどが、利権がらみだから、利権がなくなれば消えゆく人々だ。厄介なのは、原発容認の立場から評論してきた評論家たちだ。
その典型的な人物に田原総一郎氏がいる。震災後、テレビや新聞などで言い訳に終始している。その言い訳の仕方が見苦しい。流石評論家だ。「復興ニッポン」というサイトに、「原発が可哀そうだと、私が感じる理由」という、比較的正直な気持ちを吐露している。
「脱原発は今や国民的潮流となっている。しかし私は「それはちょっと違うのではないか」と感じることがある」続けて「原発をなくせばすべて解決するものではない」と。私を含め、原発反対派の誰もそんなことは言っていない。なくしても、巨大な廃棄物が残るのだ。
今はここに眠る
これからが評論家田原の真骨頂で、論理のすり替えをやる。「あの戦争でも、日本は誰も責任を持たず、総理大臣も誰もが、流れの中でただ役割を果たしただけだった」誰もの中に昭和天皇が入っていないのは明らかで、山本五十六への評価も同じだろう。
さらに、論理のすり替えは「脱原発の風潮は60年安保に似ている」という論文まで書き、「私は潮流にいささか抵抗感を覚える。科学技術というものは、常に危険を伴うものであり、いかにそのリスクを抑えて使いこなすかが文明というものだ」呆れて言葉もない。
「反原発の本も読んだが」というのだが、怪しい。彼によれば、今回の原発事故は「管理不行き届きによる事故」だそうだ。そして、私のような者に対し「ファッショのような脱原発派」と烙印を押す。日本一流の評論家がこの程度だから悲しくなってくる。俵氏は原発を可哀そうだというが、私は憎い。
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