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24日(月)96年5月28日、第一回教科書選定委員会が召集された。開会の挨拶の後、質疑に移ったので、私は迷わず挙手し、要旨次のような質問と意見を述べた。「先日、市情報審査会はこの会参加者の氏名や文書の公開を命じているのに「部外秘」なのはなぜか」
教育長が答弁に立ち、「貴方の意見はよくわかり、文部省もその方向で動いている。しかし、現段階では県の指導もあり、市の方針を変えるつもりはない。どうしてもこの方針に従えないのであれば、委員を辞退していただくしかない」私は慌てて、黙してしまった。
このまま辞退したのでは、教科書採択の経緯は再び闇の中に消えてしまう。でも、会議終了後、教育長が述べた「文部省も・・」を裏付ける県教委宛ての「文部省初等中等教育局長通知」のコピーが配布された。内容は委員の公開の方向で等、ほぼ私が指摘した内容であった。
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その場で専門調査員の名簿や日程も発表された。ただ、この局長通知にはすでに政治的圧力をうかがわせる文言「教職員の投票によって、採択教科書が決定される等、採択権者の責任が不明確になることのないよう、適正化を図る必要がある」東京方式の否定である。
その後の経過の概略を報告すれば社会科部の場合、専門委員会は3回、第二回目の選定委員会は答申を受け、採択を決定する(7月15日)最後の会である。つまり2か月足らずの間に、専門委員会の検討、教科書展示会の開催が設定されていたわけである。
勿論、一番大変なのは、教科書の比較検討である。地歴公+地図帳の8社分を私が2社、6冊分を割り振り、報告書を持ち寄る方式で進めた。お互い学期末の最も多忙な時期だったので、大変な作業であったはずである。一回の会議は3~4時間の白熱した議論になった。
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私たち専門委員会は提出された比較検討の報告書はもとより、中教研社会部が実施したアンケートや教科書展示会に寄せられた市民からの意見を重視し、意見の集約に努めた。そして、最終的には選定委員会で指示のあった通り、2社に絞り、選定委員会に提出した。
前にも述べたとおり、選定委員会の委員は教科書の内容を熟知する立場にはなかった。したがって、事務局からは「絞り込んだ2社のいずれかが最適かがわかるように報告書に認めるように」言われていた。笑い声も起こったが、実情からは当然のことであった。
最後の選定委員会では案の定、私への質問が集中した。私は専門調査委員会での議論を忠実に報告して答弁に代えた。私は再度選定委員会の在り方に対して意見を述べ始めたところ、委員長(新大教授)は発言を遮ろうとした。私は文部省局長通達の再確認を求めた。
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