朝市は欠かせない
17日(月)このブログは元々教育問題が主体になるはずだったのに、3.11以来ずっと原発問題にとらわれて抜け出せない。でも決して関心を失ったわけではない。漏れ聞こえてくる教育現場の深刻な状況の改善の兆しは全く見えず、悪化の方向ばかりが目立つ。
スウエーデンに留学中の教え子からメールが届いた。「先日教育実習に行ってまいりました。少人数で進められている授業と、先生と生徒の距離感の近さ、特別支援学級の併設等、日本では考えられないような授業が行われており。大変驚きました」と書きながら、
日本で教育に携わることへの抵抗が生まれました。果たして自分が日本の子どもたちの教育に携わることが彼らにとって有意義なものなのかどうか・・これから教師を目指そうとしている若者に失望感しか与えない日本の現状に政治家が先ず危機感を持つべきなのに。
川魚も
大阪の橋下知事の教育への姿勢に典型的に表れている、教師や生徒への成果主義、競争主義しか思いつかない貧しさ。絶望的にさえなってしまう。原発問題同様、おかしいことにはおかしいと声を上げ続けるしか方法はないと思うのだが、日本ではいかにも弱すぎる。
昨日は市内にいくつかある憲法九条の会で北区九条の会の「講演と音楽の集い」に参加してきた。講師ジェームス・三木氏の「憲法と私」は大変興味深く、かつ氏のブラックユーモアに満ちたお話に笑い転げた。1935年生まれの氏ならではの体験談に基づいた話。
脚本家だけに、言葉の持つ重みや怖さに話の核心があったように私には思われた。例えば9条の二項「前項の目的を達するため」が入ったために、前項すなわち、戦争放棄は、前項の目的を達しないためなら許されるという解釈を生んでしまったというのだ。
果物も
日本国憲法の英文訳にもPeopleとある。Peopleにはあらゆる人々の意味があるのに「国民」と訳してしまった。国家の民という考え方になり、外国人参政権の議論にも影響を与えていることになる。朝鮮人、台湾人は敗戦まで日本国民だったのに切り捨てられた。
大震災でも「自衛隊の活躍」が華々しく伝えられた。外電を見ていると,当然「ArmyがSodierが」つまり、日本軍の軍人が・・となるわけで、政府が海外に向かって日本の自衛隊が軍隊ではなく自衛隊員が軍人ではないという説明は成り立たないし誰も信じないと。
自分は小さいころから天邪鬼で大人の話を信用しない子だった。データ特に権力が発表するデータは基本的には都合の悪いものは隠し、都合の良い部分だけを発表するものだと思っていた方がよい。溢れる情報の選択は難しいが、大事なのは自分で考えることだと。原発事故以降、多くの人々が政府や東電の発表を鵜呑みにせず、独自に検査や情報集めをするようになったのは素晴らしいことではないか。
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