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路地裏の商店街
4日(火)曇り。何に一番関心がありますか?と聞かれれば、人間の生き様と答える。学生時代、内村鑑三に傾倒したとき、その人物像を知るために氏の著作は勿論のこと、氏が関わった人物や氏が尊敬すると書いてある人物に関わる著書を読み漁ったものである。
そのようにして、シュバイツアー、ガンジー、日蓮へと関心は広がった。生きざまは特に社会や政治への関わり方に影響し、私は自分の態度をできるだけ鮮明にすべく心がけてきた。私のことなどどうでもいいが、原発推進、反対派の生き様にも関心がある。
「反原発のヒステリー」とか「広島原爆の死者はほとんど熱によるもので、放射能による死者は0.4%にすぎない」と言ってのけ、脱原発を主張する広瀬隆、孫正義、小出裕章氏を悪しざまに批判する池田信夫氏には到底賛同できないが、氏の影響力は無視できない。
路地裏のにぎわい
自民党も公明党も震災後はエネルギー政策の転換を打ち出すべく検討を重ねていたらしいが、原発推進派が巻き返し、「ほとぼりが冷めるまで1,2年はかかる」(細田元幹事長)として、結論を出さないことになったと。何があっても、経済優先の懲りない面々なのだ。
今池田氏が批判する、小出裕章氏の「原発はいらない」を読んでいる。その序章に「私が40年間、減圧に反対してきた本当の理由」があり、氏の生き様の一端が紹介されている。氏は「原子力の平和利用」という夢を抱き、迷わず、東北大原子核工学科に入学した。
考えが変わったのは、学生時代、女川原発反対派住民の「そんなに安全ならなぜ仙台につくらないのか」という声だったと。卒業後京大原子炉実験所に助手として採用され、原発を止めさせるための研究に37年間を費やし、出世のならない助教で終わって今日に至る。
東大には反原発の研究者はいないけれど、京大には自分を含め「6人組」と呼ばれた「異端の研究者」がいたが、研究を妨害されることはなかったと。ただ関西電力が和歌山県日高町に原発建設を計画した時、6人組で反対運動に関わり、08年に毎日放送がこの経緯を放映した。
関電は毎日放送への広告停止で報復したと。小出氏は原発推進の「原子力安全委員会、原子力安全・保安院」と国がわざわざ「安全」とつけているのは、ブラックジョークにしか思えないと。「原発も二酸化炭素を放出する」「すべての原発を止めても電力は足りる」と主張し続けてきたと。
「その反論が大きな世論にならなかったこと、原発を止めさせるための研究や行動もしてきたのに、福島原発の事故を防げなかったことを本当に申し訳なく思う」と述べている。これこそ氏の生きざまで、池田氏に読ませたいが無理だな。
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