ハノイの前の首都ホアルー
22日(木)台風12号、15号が大きな爪痕を残して去って行った。幸い新潟市は大きな被害もなく、やり過ごすことができた。最近でこそ大型台風が日本海側に来ることはなくなったが、私が高校生のころの伊勢湾台風、第二室戸台風は忘れがたい思い出である。
今その規模を改めて調べてみると、後者は1961年、けた違いに大型で最低気圧882ヘクトパスカル、最大瞬間風速75mだった。室戸岬に上陸、神戸を経て日本海を北上した。死者こそ194人で済んだが、全壊約1万5千、半壊4万6千余。我が家も新築の別棟が半壊。
我が家の前の病院の大木が倒れ、道路を挟んで我が家にのしかかった。お寺の境内にあった鉄製の火の見やぐらの屋根が吹き飛んで我が家の玄関に。別棟の切り妻屋根がそっくり剥がされ、裏の家の畑に。父は一人家に残り、家族に寺に避難するよう命じた。
中国桂林の延長風景
私は高校3年生で祖母の手を引き、地を這うようにして寺の講堂に避難、しかし、その寺の大きな柱が波打つように揺れ、さらにそこから出て隣の公会堂に避難、テーブルの下で観念した。村でも何軒もの新築の家が倒壊した。学校は確か数日休みになったと思う。
日本列島の70%は山であり、僅か30%の平地に約1億3千万人が暮らす。細長い国土で真ん中に山が走る地形だから川は短く急流である。世界的に最も雨の多い地域であり、それだけに豊かな土壌と四季折々の風景や作物や草花に恵まれている。災害も又避けがたい。
自然災害はある意味で避けがたい宿命として受け入れ、向き合ってきた。それでも、漫然と手をこまねいてきたわけではない。越後の歴史はまさに水と雪との戦いだった。先人たちは信濃川を2か所で分流させ、洪水から水田や家を守ってきたし、品種改良もやった。
延々と続く石灰岩地形
しかし、どれほど叡智を絞り、科学を駆使しようとも、避けられない災害もある。地震・津波・山崩れはその最たるものだ。人間の注意によって、あるいは選択によって減災できるものもある。火災はその典型例だし、原子力発電も思慮深い国民なら選択が可能である。
日本の原発の選択に中曽根氏が深くかかわった理由を探していたが、少し見えてきた。彼は海軍主計大尉で敗戦を迎えた。そして、朝鮮戦争後、米国の再軍備の要求に乗り、A 級戦犯の岸信介や後藤文夫につながり、51年1月にダレスに「建白書」を提出している。
その中には自衛隊の編成、再武装で不足分の米国からの援助、旧軍人の追放解除などを要求。そして「原子科学を含め研究の自由と民間航空の復活を許されたいこと」を付け加えた。つまり、中曽根氏の狙いは原子力の平和利用などではなく核兵器にあったのだ。
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