<マレーシア発見、再発見。快傑ハリマオも驚き桃の木どうする気>
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「キナバル山」登山の思い出:「マレーシア版Go to マレーシア」
で安く泊まれるんだって?
最初の写真の、可愛いお尻は許して下さい。頭出して尻隠さず?
山好きローカルが送ってきたメールでの写真です。
つい最近、数年前に一緒にキナバル山に登ったローカルから下記
のような案内メール送られてきた。また行こうと誘っているの?
このコロナ禍の中で、行きたくてもかなりの無理があるでしょう。
別途に思い出し画像を見、私は山好きなので、想いはキナバル山
に馳せる。でも、ウチの奥さんは、前回で懲りたらしくて、直ぐ
「ワタシャー・・行かんよ」と、言い放つ。・・「はいはい」
ラバンラタに1泊、ランチからディナー、そしてモーニングの順に
セットでRM750だって。モーニングが最後にくるのは、深夜2時頃
山岳ホテルを出発して、帰ってくるのが朝方午前~になるからだ。
キナバル山に登ったのは4年前になる。キナバル付近震源の地震
から約1年後に登ったんだが、当時行くまいか行かざるか悩んだ
ものです。日本人私達2人と、ローカル友人知人含めてその家族
と登ったわけだが、その山行記録は、すでに過去に連続シリーズ
で書いてます。・・・いろいろ思い出されます。
若い頃日本では、富士山含め谷川岳、奥多摩の山々、丹沢、剣岳、
白馬岳、南アルプス連峰、その他・・多少の山登り単独行も度々
敢行したり、でもでも、山岳会やクラブに入ったわけでもないし、
大先輩が1人いましたが個人趣味での登山でした。マレーシアでの
キナバル登山は、やはり未知との戦いだったし、海外で言葉出来
なくても、ローカルと一緒に苦楽共に登れたのはいい経験だった。
当時、キナバル山付近の地震後の山荘付近の地面割れ具合・・
当時、地震直後、、建物から非難した宿泊の人たち・・・・
私達はこの約1年後に敢行した。
これは、1年前に送られてきたSMSからの写真・・
これは地震のガラスじゃなく、キナバル山での氷のかけらです。
中々、写し方が面白いね。 氷のかけらからキナバル山周辺を・・
同じくマレーシア人からの転送写真。キナバル山の山頂にかかる雲
で私達が登る前も、これと同じ雲が山頂にかかっていた。
ローカルが送ってきたものだがこういうカラー情景もあるんだねー
凄いですね。別世界です。
下記はSabah Malaysian Borneoさんから参照
これは、実際に、登山開始当日のキナバル山の山頂を撮った写真。
「シルバーヘアー?」か。「シニアも歓迎、おいでおいで」と
言っているようだった。富士山でいえば「ひさし笠」という名前
そして見上げれば、帽子の「シルバーヘアー」が「神秘的な空」
と一体になっていた。山の天気は激しく変わるのだ。覚悟は出来
ていたのか。あの雲上に登ったのだ。奥さんはきつかったようだ。
ホテルの壁の額には、このような珍しい帽子雲写真も。
美しい。これは、富士山でいえば「にかい笠」という名前らしい
当時のこの写真は、綺麗に撮れたと思っている。キツカッタぁ。
ローカル友人の、チームリーダーが作った、おそろいの
オレンジのグループシャツを着てひーひー言いながら登る・・
・・カッコなんてつけてられねぇ~。
・・・無理の出来ない歳だったけど今でも・・でもよくやった。
・・・・ 夫婦で各々ヘッドランプ各自持つ。予備1個で計3個。
・・・・・・ヘッドライトは絶対の必需品。故障も想定する。
このヘッドライトが帰り道、雨と暗闇の中、私たちの命を救った。
・・・・・・この事件的、いきさつは、以前にブログにも書いた。
3600ⅿ付近を下山中・・・・ロープを伝って降りる。
これは頂上付近・・・
標高4095m・・・・
キナバル山は、自分の海外生活の中で不安と喜びの交錯する毎日の
生活に、励ましと潤いを、そして覚醒をいただいた不思議な山だ。
山登りを通して過去の事、未来の事いろんなことが脳裏をよぎって
ゆく。「生」を感じ、今生きていること、生かされていることだ。
これを、思う想いだ。
マレーシアも、このコロナ禍にあってまだまだ収束はしてないけど、
経済も一緒に回していかないと、コレ、世界共通の課題のはず・・
由にキナバル山の想像もしなかったキャンペーン案内が来たのか?
そういう中での、今回思い出しブログだったが、コタキナバル山、
大いに好きになってゆく。
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