<マレーシア発見、再発見。快傑ハリマオも驚き桃の木どうする気>
・・・・南国暮らしマレーシア、たまにはゆっくりYouTube・・・
仏のパリからロックダウン中のメールが届いた。パリの弟との
30年ぶりの手紙。
今回のこの大変な状況の中で、個人の生き方が試されていると
いう事を感じる。グローバル的には中国に頼らないで生き抜く
国の力を試されているという事も。この機会に世界は一つだと
いう認識を持ち、互いに助け合う必要性があるという事、世界
で、利害関係の無いワクチン開発が望まれるという事。癒着の
ある世界的組織は解体し、新しく納得のいく組織編制が必要だ
という事を感じる。・・・めちゃ難しいでしょうけど。
また、C国の宣伝活動に惑わされてはいけない事、医療チーム
や医薬品を世界に届ける姿を敢えてメディアに流し、論点を
変えるやり方「さもありなん」のプロパガンダはいただけない。
ホントの人道支援は、人知れず、見返り無く、利害無くが基本
だと思う。実際、同じ支援でも、それを実行しているNPOとか
見返りを求めない良心的な国があるんですから。セレモニー
付きの大人数の大々的なプロパガンダは裏があって見た目だけ。
マスコミもマスゴミに・・・。
若いという事はそれ自体、素晴らしい可能性を秘めているん
ですね。ワタクシの弟は20歳で日本を飛び出し、仏パリに行く
のに一人単身ナホトカ航路で片道切符と言われるシベリア鉄道
で、旅立ったことを思い出しました。
当時、東京渋谷の狭い階段の間借り的な彼の3畳のアパートに
突然呼び出され何事かと思いきや、明日横浜からパリに向かう
と言うのです。大学の休学届の書類はここに準備してあるから
俺に提出しておいてくれという。後年、結果的に退学届も出す
事に。その当時、ほんとビックリだった。その当時はワタクシ
も中退していろんなアルバイトをして生活していましたからね。
今回、フランスパリに45年以上住んでいる弟と、約30年ぶりに
メールやり取りをした。当時は手紙、今は電子メールe-mailだ
当時の彼からの手紙を思い返すと、その片道切符と言われた
孤高の旅の中で、紆余曲折、苦労話、途中経由のヘルシンキで
滞在の時のヒッチハイクで、オカマに掘られそうになって逃げ
たとか、スイスではお金持ちに拾われ、働きながら、小さな
部屋とはいえ、スキーも出来る別荘住まいだったとか・・・
でも最終目的のパリに着くまで、何度か街を漂い、ひもじい
思いをした事もあったとか、必死のフランス語の勉学で免税店に
勤務出来たり、旅行会社にも勤務し、日本語、英語、フランス語
バッチシ出来ている、、日本の有名人タレントや歌手とも一緒に
街案内もしたとか、、、でも、かなりの苦労があったみたいだ。
弟はパリに住んで結婚して、それを含め私達は今まで2回パリに
行ったけど今回、彼の結婚式以来の連絡だ。敢えて武漢肺炎と
言うが、これで世界の信用と経済、人との交流、流通が途絶えた。
欧州の中のフランス、イタリア、スペイン、ドイツ、この4つは
ずっと心配だった。間接的連絡は承知だったが、メルアドの関係
などで、今回弟との直接メールやり取りが30年ぶりだったのです。
彼からの、今のパリの様子を、メール文で紹介して、今日の
ブログとします。
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