コロナで大変な状況ではあるけれど、なんか呑気なウズベキスタンの人々。切迫感とかはそれほど感じなくて、困ったなーと言いながらチャイ飲んでる感じ。
以下、私の主観なので、もしかしたら間違えているかもしれません。
コロナに限らず仕事でもそうですが、ウズベキスタンの人たちは「誰かがなんとかしてくれるでしょ」と思っている感がある。だからどんな時でもあまり切迫感がない。何故?国民性なのか?と、考えてみた。ウズベキスタンに来てから、この国の事も調べて私が至った考え。
ウズベキスタンの人たちがどこか呑気で他人任せに見えるのは「マハラ」文化があるせいではないか。
マハラとは日本でいう町内会のような、いや、違うな、もっと昔の「五人組制度」のようなもの。
中央アジア南部のオアシス地域では、個々の住宅は高い粘土壁で囲まれたスペースに中庭があり、その周りに住居空間を配置するのが一般的であり、これらの住宅を細い路地で結びながら、生活と行政の側面で近隣コミュニティとして機能してきたのがマハラです。
とても狭い区間で一つのマハラが作られて、その中でみんなが助け合いながら生活しているみたいです。冠婚葬祭は勿論、例えばマハラの中に不良がいたらマハラの長老含めみんなで躾け、年頃の独身女性がいたら結婚相手もマハラで探してあげたり(笑)選挙の投票ですらマハラ全員で誰に投票するかを話し合ったりもするのだそう。
田舎だけなのかと思いきや、タシケントに住んでるウズベキスタン人もマハラに属してるというから、根強い文化なのかもしれない。老人がいたらみんなで心配して面倒を見るし、家族の人が怪我して働けなくなったらマハラの人たちが残りの家族の世話をする。そうやってお互いに助け合って生活しているから、ウズベキスタンの人たちは「俺に万が一何かあってもマハラがなんとかしてくれるさ」「困った時はマハラに相談しよう」という、絶対の信頼を持って生きているから、「自分がなんとかしなければ!」「自分がやらなければ!」という意識があまり無いのではないかと思う。
「誰かがなんとかしてくれる」。
その考え方は、私たち日本人には他人任せで無責任に思えるかもしれないけど、このマハラを調べているうちに、私は、そんなふうに強く信じられる「誰か」が家族以外にいるのは素敵だな、と、思いました。古き良き日本を見ているような。日本が失ったものが、この国にはまだあるような気がします。
そして、6日から開始された強制隔離体制。市民の外出手段は徒歩しかなくなりました。
身体が不自由な方やお年寄りはどうしているのかというと、そのマハラ集会とボランティアにより、食品と非食品(洗剤やトイレットペーパーなど)が必要な人に届けられる仕組みになっています。このようなセンターがウズベキスタンの全ての地域に設けられたようです。
ウズベキスタンのコロナ情報、また、政府からの伝達に関しては写真に添付したテレグラムに登録しておくといち早く得られます。
Mayday.uzにも登録しているのですが、今日はピコ太郎の手を洗おう動画が紹介されていました
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