日本と欧米豪の博士課程、学生に求められる資質はおそらくあまり変わりません。vikingjpn氏がおっしゃるように、研究者として自立し人脈作ることが求められます。
しかし決定的な違いを感じます。それは、日本では大学院生がお金を「払う」のに対し、欧米豪ではお金を「もらって」研究していることです。それによって前者は趣味の世界、後者はビジネスの世界の感覚となります。
日本では、研究テーマ、教授と学生の嗜好によって決まります。世の中のニーズが一義的には研究テーマ決定に関与しません。蝶の研究、マントルの研究、冥王星の研究しようが自由です。
その趣味を極める(新発見をして論文3篇投稿する)ことで、その趣味の第一人者となり、趣味の世界の師匠(教授など)が誕生します。そしてその趣味を極めたい?次世代の学生を育成します。
基本的には収入源は学生からの授業料と、国からの助成金(科研費等)です。世の中との接点あまりありません。加えて言葉の壁のせいで海外研究機関との接点もあまりありません。
問題は、あまりに多くの博士学生が、その趣味の世界で食べていくことを目指すため、競争が激化していることでしょうか。スポーツ選手などと同様、その世界を離れて食べていくのは難しいです。
欧米豪でもそういった研究者一定の割合でいると思われます。しかしながら総じて割合が小さいから回っていけます。メインストリームは教授が企業数十社からお金を集め、博士学生を雇い、企業や国のニーズに応じた研究やるものです。教授自身が(あるいは学生も)企業で働いた経験を持っていることも多い。
従って、博士学生が論文3編投稿するというのは必要条件であって、十分ではありません。今後10-20年企業にとって、産業界にとって役立つであろう研究課題の解決が求められます。研究テーマは学生が決めますが、それは新規性と共に、スポンサーの求める方向性(ニーズ)に合うものである必要があります。
これによって、学生は産業界とも人脈を構築する必要がでてきます。技術営業が必要です。研究成果をスポンサーの意向に合わせて表現していくことも必要です。
こうして大学の博士課程は企業が求める基盤的研究を提供する場になっています。学生は、給料もらえ、授業料は出してもらえる。世の中のニーズも把握することができるしアカデミアとインダストリー双方との人脈構築することができる。加えて技術営業や表現力も鍛えらます。
さらには、欧米豪大学院は当たり前のように国際的です。教授・学生・スポンサーともに、多くの国籍の人・企業で成り立ってます。皆英語話します。学生は世界のより条件の良いところへ就職する選択肢があります。
日本も従来型の博士課程続けることは難しくなってきました。日本の経済力が衰え余裕がありません。余裕が無い時に30年たっても世の中に役立つかどうかわからない研究に従来どおりのお金出すとは考えにくいです。
私見では、博士課程の7割くらいは、この欧米豪式に舵をきってはと思います。厳しい時代に必要なスキルを付けるという意味では学生のためでもあると思います。