今日テレビを見ていたら、芥川賞受賞作家の女性が出演していたのですが、めちゃくちゃ若い!
別に若いのが嬉しいんではなくって、文学というジャンルで20代でトップに立つということ自体に驚きを感じたのでした。
調べてみると20前後で同賞を獲得している人はいるんですね、びっくりです。
文学の世界で一定の大きな賞を獲得するには、それなりの力量、例えば、話の構成力、感情の表現力、語彙の豊かさやなど、一定のものが必要で、それって若くして成し得ないのではと思うけど、全くさにあらず。すごいですよね。
確かに考えてみると、大学受験でトップノッチの学府を合格される方などは、まあ凡人の極みである私などと比べてははるかに優秀な頭脳をもているし、そういった能力は十分にあり得るかもしれません。加えて若いからこそ持ち得るシャープな視点、切れ味の良い展開、そして独自性のあるテーマなど、「若さ」が武器になることもあるのかもしれないと思いました。
確かにワインの世界でもある意味同じようなことがあります。
ワインの作り手の世界では、彗星のごとく現れる新人というのは商業的観点ではたくさんいるのだけど、ほとんどが彗星のように去っていく 笑。そしてごく少数の若い天才や秀才が渾身の力ですごいワインを作ることがあります。これらのワインは多くの愛好家を持って「凄い」と言わしめる。そして数年のうちにボトルの価格は天井知らずとなる。
それらは、とても豪華絢爛であったり、あるいは究極的な洗練、そして磨き抜かれた構造美などによって賞賛される。
一方、そういうワインを「飲む」というのは愛好家が集まって、鑑賞をしたり、ごく少人数でしっかりと向き合ってその本質を確かめたりという、、、
若い頃は、そういうことを楽しんだり、感動したり、声を上げたりするのだろうけど、一定の年齢を経て、将来よりも振り返る時間の方が多くなった時、往々にして必要なのは、対峙するような、鑑賞するようなワインではなく、偉大ではないし、感激もしないけど、寄り添ってくれるような、主役になることなく、むしろ飲み手が何かに思いをはせることを邪魔せず、名脇役のように静かに佇み、そして実に優しくしみじみ味わって美味しい、そういうワインではなかろうかと思います。
そういうワインは得てして古参の酒蔵が作ったもので一定の年月を経たものであったりします。
私は文学に関しては、ほぼど素人もいいとこで、ろくに本も読まないのだけど、感動を求めて、刺激を求めて読むというよりは、仕事で疲れ果てた時間を癒してくれる、読み終わった時に何も残らない、その瞬間に蒸発してしまうような、読んだことすら忘れるような本が今は必要かなと思ったりします。
きっとそういう本は経験のある作家にしかかけないような気がします。
金曜日に渋谷あたりのクラブで群れるのも楽しかろうと思いますが、土曜の昼下がり、住宅街の気の利いた蕎麦屋で一人で日本酒をいただくもの同じ人生の楽しみです。
春には春の、夏には夏の、そして秋や冬にはそれぞれの良さがあるというもんですね。
おわり。
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