英語に関する徒然。
最近、英語学習においてメンタリティーというのがすごく大切だと感じています。
ところで、「あなたは英語を喋れますか?」
と言う問いに、ほとんどの日本人はNoと答えてしまうと思います。
がしかし、ごく簡単な会話であれば、あまり問題ない人までなぜか日本人は「喋れません」と答えます。
一方、ロンドン。
非常に移民が多く、実際問題流暢に喋れない人も多くいます。
しかし彼らは「英語は喋れますか」と言う問いにYesと答えます。
移民にとって仕事を得ることは、ものすごく大変です。
一定のビジネススキルを持って、移民したのでない場合、まずは言葉が必要ない仕事、そう、清掃などから始まるケースが多いようです。レストランだと、掃除や皿洗いから始まって、言葉を覚えて次に水を足したり、皿を引いたりする仕事。そしてある程度喋れるようになると、注文を取る仕事とステップアップしていきます。
そういうステップアップの過程においては、喋れることは致命的に重要です。
だからみんな必死で学ぶ。
その結果が人生を左右するからですね。
で、少しでも良い職を探す。
ある程度、喋れるようになってきたら、職探しのときには自分は喋れると自己主張することになります。
実際に仕事についたらバレちゃうんだけど、とにかく「アピール」することが仕事を得る上では大切だから、「問題ない」というわけです。
がしかし、実際には自分も典型的日本人的感覚でした。
私は、幸いにもTOIECも900を超え、英検も1級を合格しました。
ところが、そういうレベルであっても、現実問題、映画を字幕なしで見ることは難しいし、テレビもニュース以外をきちんと理解することは至難の技です。
よって、私はロンドンにいるときいつも職場で「自分は英語はうまくない」と言い続けてました。
で、問題。
本来これっていうべき言葉なのか。
異なる国から海を越えてやってきて、第二外国語である英語を必死になって習得しようとする。
そして、ネイティブの連中達と、意思疎通ができるとこまで行き、そして仕事ができるレベルまでいく。仕事にまつわる会話というのは非常に高度なものなので、100%わからなくっても、文脈が理解できて、わからないディティールは確認するようにして、そして大きな事故なく業務が進んで行くようであれば、自分は英語が十分にうまくないと考えるより、自分の英語は進化している、そして現地でコミュニケーションが取れているということに自信を持つべきだったのではないかと今は感じています。
そして自分の英語はうまくないとあえて言う必要なんて全くなかったと。
そんなこと言わなくっても皆自分の英語のレベルは理解してしてますからね。
ネガティブな感情というのは人のやる気を削いだり、知らない間にメンタリティーを侵食します。
なので、少しでも喋れるようなら、「十分かもしれないけど、自分は多少喋ることができる」と前向きに思うことって案外大切なことなのではないでしょうか。そのようがより前向きに学習できる。
そして、単語ひとつでも覚えたら、それは「前進している」と思うこと。
読めなかった文章が読めたり、聴こえなかった単語が聴こえたりしたら、それは「前進」であると。
所詮はネイティブのレベルと比べること自体がナンセンスなのだから、勉強していること自体を「頑張ってるね!」と評価して、会話で多少間違えても、そんなもんは、自転車に乗る練習をするときに転ぶのと同じことだと思えば良いのでは。
絶対に転ぶことなくして自転車には乗れないのだから。
転ぶと言うこと自体が前進へのプロセスなのだから。
決して恥じたり、「もうやめよう」なんて思う必要はないですよね。
私が真剣に英語を勉強し始めたのは、45歳の時でした。TOIECは425点からのスタート。
学生時代の英語の成績はボロボロ(笑)。
でも唯一人に自慢できるとしたら、それから9年間、諦めずに今でも勉強してし続けていることです。
センスがなくとも歩み続ければ、時間の経過とともに前には進んでいる。
絶対にやってはならないのは、歩みを止めること。
若者もそうでない人も、単語ひとつ覚えたら、「前進」だという前向きな気持ちを持って英語に取り組んではいかがでしょうか。
再度言いますが、ネイティブと比較して、自分はできるできないと思うことには全く意味がありません。
スカイプ会話で詰まってしまったり、間違ったり、指摘されたりすることを恥じたり、落ち込んだりする必要は全くありません。
多少転んでも、いつか自転車には乗れるんだから。みんなで頑張りましょうよ。
そのうちに転ぶ回数も減って、長い距離、足をつかづに進めるようになった時、その喜びは格別だから。
54歳はまだまだ諦めませんよ、前進あるのみ!
おわり。
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