角田山頂のカキツバタ
30日(木)晴。「原発は危険なもの」の項は一旦この号で閉じたいと思う。原発の収束のメドが立たないのと同様、このシリーズの収束も見えない。佐賀の玄海原発や他の停止中原発の再稼働を求める動きも勢いを持ちつつある。それにしても海江田経産相の動きは異常だ。
先日報告した柏崎・刈羽の防潮壁は結局地元住民の反発を受け、建設することになった。当初の計画より縮小しての話だが。やはり騒がなければ駄目だ。世論しか「10万年後の安全」を保証する手立てはないのだから。オンカロの最終処分場の予算はいくらなのか知らないが、安全のための経費に違いない。
04年に原子力安全委員会が発表した数字によると、六ヶ所村の使用済み燃料の再処理にかかる経費が43兆円、再処理せずに埋めたとしても30~39兆円かかるという。いわば何の生産物も生まないゴミ処理のためにかかる経費である。しかも再処理は危険を増すだけ。
角田山頂のアジサイ
映画の中で処分場の計画者や学者たちが2100年に埋設が終わった後、入口を密閉し、自然を元に戻し、10万年後の不安を語り合う場面がある。オンカロの場所を記念碑でも建てて語り継ぐべきか、それとも永久に忘れ去るようにすべきかという議論である。
10万年後と言えば、6万年後と予想される氷河期で動植物が死滅し、蘇った後かもしれない。その頃の人類が果たして今の言葉を理解できるだろうか、絵の方がわかるのでは、果ては、かえって興味をそそり、掘り返えすのではないか。ならば消し去るのがいいと。
今の人間が現代人の祖先とされるネアンデルタール人(10万年前)を探求したように。新潟日報のコラム氏もこの映画を観たらしく今日付けの日報抄に書いている。「原発が生まれて数十年。このわずかな期間に生じた廃棄物を、気が遠くなるほどの未来に残す」と。
緑のトンネル
原発推進派でさえ、原発はクリーンで安価だとは言わなくなったし、言えないだろう。全世界の原発439基はわずか30カ国、13.8%のエネルギーを賄っているにすぎない。中国、インドは確実に増やすだろうが、ウランだって枯渇燃料であることに変わりはない。
日本の化石燃料(石油、石炭、天然ガス、ウラン等)の08年の輸入額は23兆1000億円だった。これも中国、インドの成長によって価格は上がる一方だろう。ならば、ここで腹を決めて再生可能エネルギーに転換することが賢明な選択であることは言を俟たない。
ここまで書いて、梅雨空の合間に広がった青空にいたたまれず、角田山に登ってきた。緑は一層濃くなり、ブナ林の緑のトンネルを吹き抜ける風を浴びながらの気持ちのいい山登だった。暑さのせいか、昼過ぎに下山する人が多く、頂上には4~5人しかいなかった。
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